阪神担当が独自の視点で取材する今回の「虎番リポート」は、福留孝介外野手(42)が挑む偉大な記録を取り上げる。

今季も主軸として奮闘を続けるセ・リーグ最年長野手。42歳以上シーズンで規定打席到達となれは球団初、プロ野球7人目の快挙になる。今回は1950年代に阪急などで活躍し、外野手で唯一達成した戸倉勝城氏(阪急)の足跡をたどって、偉大な記録を掘り下げた。

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「ON」も成し得ていない。「鉄人」の異名を持つ金本知憲でも到達していない。42歳シーズンの規定打席到達者は、56年戸倉勝城(阪急)、77年野村克也(南海)、90年門田博光(オリックス)、95年落合博満(巨人)、10年山崎武司(楽天)、12年谷繁元信(中日)と6人しかいない。42歳でレギュラーの証明と言われる「規定打席」に到達することは、それほどハードルが高い。

球史に名を刻む猛者たちの中で、1人だけ聞き慣れない選手がいる。戸倉勝城。パ・リーグ1号を放った伝説のプレーヤーだ。1950年(昭25)、35歳の高齢で創設されたばかりの毎日(現ロッテ)に入団。プロ野球が2リーグになったばかりで「選手不足」もあり、社会人野球から引き抜かれた。翌51年に阪急(現オリックス)に移籍し、今も残る年長記録を次々と築いていく。

41歳シーズンの55年に記録した打率3割2分1厘は、40歳以上での最高打率でまだ破られていない大偉業だ。42歳で引退した57年まで強打の外野手として活躍。6人の中では、福留と同じ唯一の外野手でもある。

レジェンドの子息が兵庫・宝塚市に住んでいる。三男の戸倉恒城氏(68)は「数字を見るとすごいなとは思いますけど、昔やったから出来たんでしょうね。まさに大正の人。非常に寡黙なオヤジでした」と懐かしむ。パ・リーグが指名打者制を導入したのは75年。DH制導入前ということもあって「守備は渋々使ってたんじゃないでしょうか。目をつぶってね」と推測する。

話題が阪神の福留に及ぶと笑いながら首を振った。「うちのオヤジに並ぶなんて全然違いますよ。福留さんは本当にすごい選手ですから。3割は打つんじゃないですか。打ってくれるでしょう」。走攻守でチームに貢献し続けることがいかに難しいか。プロ野球の歴史をひもとけば、福留のすごさが分かる。【桝井聡】

◆戸倉勝城(とくら・かつき) 1914年(大3)11月3日、山口・下関市出身。豊浦中から法大に進み、社会人チームから1950年(昭25)に毎日(現ロッテ)入団。パ・リーグ優勝、日本シリーズ制覇に貢献。51年、阪急(現オリックス)移籍。57年まで強打の外野手として活躍した。ベストナイン2度。59年シーズン途中から62年まで阪急監督。67年に東京(現ロッテ)監督、シーズン途中に退任。97年6月6日に心不全のため死去。170センチ、69キロ。右投げ右打ち。