阪神の名二塁手だった鎌田実氏が、1日に兵庫県内の病院で、肺がんのため死去していたことが2日、分かった。80歳だった。通夜・告別式は親族のみで行う。 兵庫県三原郡(現南あわじ市)出身で、洲本から57年に阪神入団。遊撃手の吉田義男、三塁手の三宅秀史と史上最強の内野陣を組みんで、62年はリーグ優勝に貢献した。

  ◇    ◇    ◇

最後に鎌田さんを取材したのは、2年前の17年6月30日、甲子園近くのホテルでした。わたしと田崎カメラマンと2人で待っているところに現れた鎌田さんは、ご自身が大切にしているという数枚の写真を持参した。それを自慢げにみながらのインタビューは、プロフェッショナルの守備の深さを教わった気がした。「我々の時代は三遊間コンビが華。二塁は機転を利かすポジションで陰の役者なんです。三宅さんはベース寄りから肩の強さを見せ、吉田さんのクイックスロー、私は二塁寄りからジャンピングスローでしょ。甲子園は拍手喝采ですよ」。この日の広島戦で、その二塁のポジションでミスがでる光景をながめながら、内野手が育った伝統を熱く語った名人を思い出していたのです。【編集委員・寺尾博和】