力任せに大振りすることはなかった。それでも打球は大きな弧を描いて、外野に吸い込まれた。田淵の本塁打は、通算で474本を数えた。歴代11位にランクされる。「ブチかましましたねえ?」と振り返る。

史上初の「両リーグ本塁打王」になるはずだった。西武時代の83年7月10日、日本ハム高橋一から29号を放った。2位のテリー(西武)に6本差。3日後、近鉄戦で死球を受けて左手尺骨を骨折した。「しゃくにさわる? 骨折り損」。復帰は10月4日、同11日の近鉄戦で30号を放った。規定打席不足の30本超えは、日本人選手で田淵だけだ。

16年間で犠打0というのもこの人らしい。落合博満4、長嶋茂雄5、王貞治は12もあった。バントをしなかったわけではない。70年に2球、75、77年に各1球ファウルした記録が残る。「当てにできなかった?」のは、本人より監督だったのかもしれない。

474本中の415本が豪快に引っ張った打球だ。実に88%。「世界の王」に真っ向勝負を挑み、1度はその厚いカベを「ブチ破った?」。バットを投げ捨てる姿が格好よかった。背番号22。絵になるホームランバッターだった。【米谷輝昭】