楽天球団創設2年目の06年から09年まで監督を務めた野村克也さんが、虚血性心不全のため亡くなった。84歳だった。09年にはチームをパ・リーグ2位に導き、初のCS(クライマックスシリーズ)進出を果たした。この日、野村監督就任直後の05年に入団した青山浩二投手(36)が、2軍キャンプ地の沖縄・久米島で取材に応じ、恩師との思い出を語った。

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野村氏の訃報を受け、沖縄・久米島でキャンプを行っている楽天2軍の選手、コーチたちにも悲しみが広がった。中でも青山は、野村楽天初年度に入団。さらには09年のCS進出を決めた試合(ホーム西武戦)では完投勝利を挙げており、縁の深い間柄だ。練習合間にもかかわらず、丁寧に取材に応じてくれた。「今朝聞きました。最近はテレビでしか見られなかったのですが、S☆1(TBS系)とかでもお元気そうだったんで」と驚きを隠せない様子だった。

八戸大から05年の大学、社会人ドラフト3位で入団。イケメンの青山を目にした野村監督から「いきなり『お前、俳優になれ。野球選手よりそっちの方がいいんじゃないか』と言われました」と、毒舌の洗礼を浴びせられた。最後に会った際も「まだ野球やっとんのか」とノムさん節は衰えず、俳優転向を薦めたことをしっかり記憶し、ネタにしていたという。

感謝しかない。「1年目ですごい使ってもらいました。42試合、打たれても我慢強く使ってもらいました」。06年5月31日、阪神戦で挙げた初勝利の記念球は今でも大切にしている。「監督室に行ってサインをしていただきました」。先発、中継ぎ、セットアッパー、クローザーとあらゆる役割をこなしながら14年間第一線で戦ってきた。「先発をやるつもりで入ったんですけど、監督のおかげで中継ぎの大変さ、やりがいを知ることができた。それが今にもつながっている」と振り返る。

恩師をしのびながらも、ユーモアあふれる人柄を思い出すと話は尽きない。球場のトイレに入ろうとしたら、鉢合わせしたこともあったという。直立不動の青山に「入るのか、入らないのかどっちなんや」と答えを迫られ、意を決して一緒に入ったら怒られた。「『そこは待たなきゃダメだ。時代は変わったのお』と言われました」と、マナーも教わった。

2軍キャンプではマイペース調整を任せられながらも、すでにブルペンでも投げ込みを続け、順調な仕上がりを見せている。野村氏の眼力によって適性を見いだされ、楽天一筋でチームを支えてきたベテランは、恩師への思いも胸に、15年目のシーズンに臨むことになる。【野上伸悟】