阪神監督2年目の「逆ジンクス」成るか-。いまだ開幕が見えないプロ野球。本来ならこの企画において、矢野阪神のマネジメントを斬り込むところだったが、まだ戦いは始まらない。そこで球界における「2年目のジンクス」ならぬ、監督2年目のジンクスから今季の阪神を占ってみた。85年阪神日本一の元ニッカントラ番、元和泉市長である井坂善行氏(65)の分析は-。

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昭和から平成、そして令和へと移り変わっても、球界には不変のジンクスがある。

言わずとも知れた「2年目のジンクス」。プロ1年目、ルーキーイヤーにブレークした選手が、プロ2年目になると、途端に打てない、投げられない、走れない…まるで別人のように不振に陥ってしまうのである。他球団に徹底マークされたり、自身のモチベーションの問題もあるのだろうが、このジンクスは生き続けている。今年の阪神で言えば、近本が該当するが、果たして近本はこのジンクスを打ち破れるかどうか。

では、同じ2年目でも、就任2年目となる監督となればどうだろう。これがなかなか面白いデータがある。プレーヤーと違い、就任2年目となる監督の成績は右肩上がりの傾向がある。とくに阪神の場合、03年の星野、05年の岡田両監督はいずれも監督2年目にリーグ優勝を果たしている。昨年の終盤、6・5ゲーム差からの逆転CS出場を決めた矢野阪神2年目も、星野、岡田両監督に続くことが出来るかどうか。

こんなことを書きながら、フト仰木彬が健在なら、この『コロナ禍』の中、どんな風に存在感を示したかと考え込んだ。88年、近鉄監督1年目はあの10・19の末、2位だったが、翌89年にリーグ優勝。オリックスの監督1年目94年2位も、95、96年はリーグ2連覇で、とくに96年は「がんばろう神戸」を合言葉に日本一に輝いている。

マジシャンと呼ばれた仰木野球は、近鉄、オリックスともに就任2年目に花を咲かせた。私は野球記者として、また個人的な野球観からして、仰木野球には否定的なスタンスで向き合ってきた。だから、よく衝突もしたが、たまには東京遠征時に六本木に誘い出されて野球談議をした思い出がある。最後まで野球観は一致しなかったが、監督としての実績は知将として認めざるを得ない。

矢野監督の作戦の決断力、用兵の柔軟性、そして矢野ガッツに見られる掌握力。就任1年目の矢野采配には、かつての仰木彬をほうふつさせる要素が垣間見られた。ただ、マジックは成功してこそマジックであり、結果は伴わなければ単なる道化師で終わってしまう危険性がある。仰木彬は監督としての資質プラス強運の持ち主だったが、果たして矢野監督の「2年目のジンクス」は吉と出るか、それとも-。(敬称略)

◆井坂善行(いさか・よしゆき)1955年(昭30)2月22日生まれ。PL学園(硬式野球部)、追手門学院大を経て、77年日刊スポーツ新聞社入社。阪急、阪神、近鉄、パ・リーグキャップ、遊軍記者を担当後、プロ野球デスク。阪神の日本一、近鉄の10・19、南海と阪急の身売りなど、在阪球団の激動期に第一線記者として活躍した。92年大阪・和泉市議選出馬のため退社。市議在任中は市議会議長、近畿市議会議長会会長などを歴任し、05年和泉市長に初当選、1期4年務めた。現在は不動産、経営コンサルタント業。PL学園硬式野球部OB会幹事。