今季限りでの現役引退を決めた阪神藤川球児投手(40)が1日、兵庫・西宮市内で引退会見を行った。「1年間、体の準備が整わないのはプロとして失格」と決断理由を語ったが、「僕は僕でもう1発、なんとか」と1軍戦力に戻る決意を明かした。目標はあと5に迫る日米250セーブではなく、「優勝すること」ときっぱり。98年の入団会見時に宣言した3度目Vで有終の美を飾るべく、大逆転Vを信じて体を仕上げる。

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05年阪神優勝の原動力となった必勝リレーJFKのタッグを組んだ盟友も藤川の現役引退をねぎらった。久保田智之氏(39=阪神プロスカウト)は同い年で尊敬し合う間柄だ。1日、球団を通じてコメントした。

「まだ2カ月半あるけれども、まずは長い間お疲れさまでしたという思いですし、いままで頑張ってきた球児の姿というのは本当に尊敬しています」

あの年、久保田氏は守護神で27セーブを挙げた。7回藤川に始まる鉄壁の継投は敵を圧倒。久保田氏は「野球に対しての姿勢、意識、実力すべての面で尊敬していましたし、追いつけそうで追いつけない。タイプは違うけれども、同じ時代に近くで一緒にプレーしていて尊敬できる部分がたくさんありました。阪神の歴史の中で『JFK』と呼ばれる、名前の残るものを一緒に築くことができたことは誇りに思いますし、球児がいて、ジェフがいてくれたからこそのもの。本当に感謝しています」と当時を思い起こした。

あの年、主に8回は鋭く曲がるスライダーを武器の変則左腕だったジェフ・ウィリアムス氏(48=阪神駐米スカウト)が務め、75試合に登板した。「球児とはたくさん思い出があるが05年の優勝した時はJFKで1つになってチームの優勝に貢献できたし、みんなで喜びを分かち合えた優勝の瞬間が一番印象深い」。

今年2月には、ウィリアムス氏が阪神の沖縄・宜野座キャンプ地を訪問し、球児と久保田氏とJFKを“再結成”していた。藤川も「人生を送る上ですごく大事な瞬間。特別な思いと思い出もあります」と話していた。激励を受けながら、ここまで奮闘してきた。

藤川は今後も1軍昇格を目指す。直接、話したという久保田氏が「あと2カ月半、最後まで頑張ってほしいと伝えました」と明かせば、ウィリアムス氏も「引退を決断したということだけれども、まだすべてが終わったわけではないし、再び甲子園のマウンドで球児が戦う姿を見ることができることを願っているよ」とエールを送っていた。