原辰徳監督(62)ら全選手、首脳陣が背番号「16」を背負った負けられないメモリアルデーに、巨人が劇的なサヨナラ勝利を飾った。「川上哲治生誕100年記念試合」の9回無死満塁、吉川尚がサヨナラ打を放ち、競り勝った。8回途中2失点の先発菅野に開幕10連勝の白星は付かなかったが、連勝記録も次戦に持ち越し。2位との差を6・5ゲームに広げ、貯金は今季最多の15。原監督はV9監督の川上哲治氏が持つ巨人歴代1位の監督通算1066勝まで6勝に迫った。

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背番号「16」を背負った原監督が、勝負どころで8番吉川尚を打席に向かわせた。同点の9回無死満塁。マウンドには左腕エスコバー。ベンチには右の代打中島らが控えていた。「ノーアウト満塁ですから、思い切った守備隊形を取ってくる。一番怖いのはダブルプレー。足の速い打者。コンタクト率はある。彼にはナカジにはない足の速さがある」。

1死満塁なら代打中島だったが、無死だから代打はなし。「赤バット」ならぬ「こげ茶バット」を握った吉川尚は、カウント2-2から156キロの直球に食らい付き、一、二塁間を抜いた。「ボールが止まって見えた」の名言とはひと味違い「やばいくらい速かったです」と苦笑い。71年前の49年、巨人初のサヨナラ満塁本塁打を記録した大先輩に導かれるように、背番号「16」であふれた巨人ベンチに歓喜の輪が広がった。原監督は「読売巨人軍をつくられた代表する先輩のユニホームを着て、生誕100年。勝利で飾れたのは大変うれしい。先輩も喜んでくれるのではないかと思います」とかみしめた。

1920年に誕生した川上氏が、最後に背番号「16」を付けて打席に立ったのは58年10月8日の国鉄戦。永久欠番となった「16」が試合に復活したのは2万2609日ぶりだった。試合前にナインにあらためて川上氏の偉大さを伝えた原監督は、08年にも川上氏と家族を東京ドームに迎えていた。坂本が初めて全試合スタメン出場した2年目。長男貴光さんは「『若手が出てきました。坂本がいいんです』と父にしきりに話してました。今でも新しい人を思い切って使うのがうまい」と見守り続けている。

12年後の今季も投打で若手の抜てきを繰り返し、折り返しの60試合を終えて貯金は最多15。監督通算勝利数は球団歴代1位の川上氏まで6勝に迫った。試練の13連戦初戦に勝利し「9月、10月が勝負の月。スタートをいい形で切れたのは大きい」。これまで通り個人の記録よりチームの勝利を追い求め、1戦1戦積み重ねていく。【前田祐輔】

◆全員同じ背番号 主な例では西武が稲尾和久のメモリアルとして12年7月に2試合、永久欠番24をつけた。14年3月10日のオープン戦では巨人が沢村栄治の14番、阪神が西村幸生の19番を着用。広島は原爆投下から70年の15年8月6日、恒久平和を願う「ピースナイター」として86番を着用。最近はDeNAが16年三浦大輔(18番)ロッテが17年井口資仁(6番)19年福浦和也(9番)の引退試合で全員着用。大リーグでは毎年、全球団が近代メジャー初の黒人選手ジャッキー・ロビンソン(元ドジャース)の背番号42をつける(今年は8月28日)。

○…「川上哲治生誕100年記念試合」には川上氏の家族も観戦に訪れた。長男貴光さん(74)は「16番を皆さんで付ける形で祝っていただくのは本当に光栄なこと」と感謝。原監督の采配については「勝負の心で戦っているなという感じがすごくする。私心はダメなんですよ。原監督は批判されるのが分かっていても正しい、ベストだと思うことをどんどんやっていく。今は本当に円熟期」と話した。