ヤクルトは12日、五十嵐亮太投手(41)の引退会見を15日に行うと発表した。

名伯楽の小谷正勝氏(75)は、7年前の自著「小谷の投球指導論」の中でルーキー時代の五十嵐を回想している。一部を抜粋する。

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剛球はもちろんだが、最大の魅力はその人柄に尽きるのだろう。高校を出て直接プロに入団してくる選手は、みな希望に満ちあふれ、生き生きとした顔で飛び込んでくる。五十嵐はその中でも飛びきり純粋で、さわやかで、ハツラツとした好青年であった。

やんちゃが過ぎてよく叱った。「両親を呼び出すぞ」と言うと「分かりました。母親を呼んで下さい。でも小谷コーチ。僕の母は、すぐに泣いてしまいますから。それでも良かったらどうぞ」と、訳の分からないことを平気で言っていた。それでも憎めないのが彼のいいところだ。

当時私は寮に寝泊まりし、若手全般を預かっていた。朝食後、グラウンドに出る前に一般常識の勉強。練習後は野球の座学。寝る前にシャドーピッチング、ロードワーク…。その繰り返しだった。

純な性格そのままに、五十嵐は順調に伸びていった。将来性を見込んで、1年目の夏まで体作りに専念させた。満を持して、イースタンの優勝決定戦、ファーム日本選手権で先発させた。「シーズンで投げていない1年生に、なぜ大事な試合を任せるんだ」と、当然の反論があった。「2軍とはいえ、この2試合はビッグゲームだ。五十嵐はヤクルトの将来を担う可能性がある。彼がどんな投球をするか、確認すべきだ」と押し切った。

快く送り出してくれた当時の八重樫2軍監督には、感謝しなくてはならない。練習通りの立ち居振る舞いで、ちびることなく投げきった。ちびるどころか、ファーム優勝決定戦ではノーヒッターを演じてみせた。「ブルペンエース」と呼ばれたまま去る投手は本当に多い。私は五十嵐の肝っ玉の強さと可能性に確信を持った。

翌年から本腰を入れフォーム固めに入った。制球難の理由は明確だった。上半身と下半身の動きがバラバラで、特に上体の動きが大きすぎた。「人間、目標に物を当てようとする時は、顔と目の近くからインパクトしていくと狙いがつけやすい」「球体を投げる動作で、一番大きなパワーを生み出せるのは、砲丸投げだ。でも勘違いしちゃいけないことが1つある。トップの位値を上げるんだ。肘は最低、肩の高さまで上げる」。この2点を伝えた。

軸は平行移動ではなく、上下に移動させた。上からたたきつけるイメージで、腕の引っかく力を最大限利用するイメージを植え付けた。肩の可動域の広さ、筋肉の柔軟性、蓄えた力を放出する爆発力。彼の長所を生かすフォームが、あの「担ぎ投げ」であった。(後略)

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丁寧な引退の報告があったという。小谷氏は「よく頑張った。明るくてさわやか。すごいボールを投げていたが、何より、誰からも好かれる人柄があった」と静かに、7年前と何も変わらぬ心持ちを明かした。

長く一線を張る選手は、例外なく縁を生かしたルーツを持っている。鍛錬の日々は、時を経てかけがえなき日々だったと気付き、思い出となっていつまでも残る。【宮下敬至】