日本ハム宮西尚生投手(35)がオリックス21回戦(札幌ドーム)で、プロ入りした08年から13年連続となる50試合以上登板を達成した。1点を追う9回に登板し、自身が持つパ・リーグ記録を更新。コロナ禍でシーズン120試合となった今季だったが、113試合目で節目に到達した。チームは逆転負けで、2年連続のシーズン負け越しが決まった。

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9回のマウンドに宮西が上がると、本拠地に詰めかけたファンから大きな拍手が起こった。この登板が意味するものを、みんなが分かっていた。今季50試合目の登板。「良かったなと思う。簡単ではなかった」。ルーキーイヤーから続けてきた、本人いわく「最低限」の登板数をクリア。これで13年連続となり、プロ野球記録を持つ元中日岩瀬の15年(99~13年)に、あと2年に迫った。

メモリアル登板も、らしさ全開だった。先頭打者に四球を与え、走者を背負うと慎重に、たっぷりと時間もかけながら、後続の打者1人1人を打ち取っていった。2死一塁の場面で清水が捕逸。三塁まで走者を進められても「ホームを踏ませなきゃ、いいんでしょ」。最後は外角低めの直球で代打頓宮を見逃し三振。最後まで、チームに勝機をつないだ。

コロナ禍で通常の143試合から23試合減の120試合となったシーズン。開幕直後は左肘のコンディションは万全ではなく、本来ならシーズン約60試合ペースで到達する「50試合」という数字は「半分くらい、諦めていた」という。過去に60試合超えは4度あるが、6年前の14年が最後。「あのころは若かったからね」と、35歳となった自身の肉体とも折り合いを付けながらノルマを達成した。

今季は慣れないクローザーも務めている。栗山監督とも話し合い、若手のために一肌脱いだ。「後輩がつぶれてはいけないし、つぶしてもいけない」。プレッシャーのかかる役目を引き受け、全うできたのも700試合以上の登板実績による経験値があるから。来季は「自分が(守護神を)やっていてはダメ」と後輩投手には愛のある叱咤(しった)激励も送った。

栗山監督も試合後に「ありがとう」と感謝を伝えた。「肘の状況があまり良くない中で、今年はあらためて、ちょっとすごいな。すごかった。あらためて、俺が(宮西をすごいと)思っていることを、全ての人に理解してもらえたシーズン」と絶賛した、岩瀬に次ぐ史上2人目となる13度目の50試合登板。宮西は岩瀬の背中は「はるかに遠い」と言いながら、「まだまだ、いけるわ」。確信を持って、言った。【木下大輔】