エンゼルス大谷翔平投手(26)が21日(日本時間22日)、レンジャーズ戦に「2番DH」で出場し、3回の第2打席、右中間へ日米通算100号となる今季5号ソロを放った。大谷の通算1号は、13年7月10日の楽天戦(Kスタ宮城=現楽天生命パーク)。「7番右翼」で出場し、1点リードの4回1死三塁、楽天永井怜投手(現楽天育成投手コーチ)の138キロ直球を右翼スタンド中段まで運んだ。92打席目でのプロ初アーチは推定飛距離120メートルの2ラン。メモリアルの1発を許した右腕が、当時を振り返った。

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13年7月10日。永井は大谷のプロ1号を、Kスタ宮城のマウンドから見送った。「打たれた瞬間、ホームランと分かる角度と打感でした」。1点を追う4回1死三塁。初球からカーブ、直球と内角にボールが続いた。「インコースは基本的に打率が悪いというデータを元に、インコースを攻めながら最後はアウトコースで勝負する配球だったと思います」。3球目。再び内角をついた138キロ直球を、快音とともに右翼席中段へ放り込まれた。

鳴り物入りのルーキーに、他者とはただならぬ違いを感じていた。「ある程度配球を読みながら、どの球種に対しても対応してくる。スイングスピードも速く感じた。独特の雰囲気があって、普通のルーキー、高卒1年目の選手ではないなと感じました」。

海の向こうで歴史を塗り替え続ける若武者の活躍は「当時の段階でそこまでは分かりませんでしたね」。09年に13勝、10年に10勝をマーク。楽天の創設期を支え15年にユニホームを脱いだ。8年の時を経て、掘り返される“あの1球”。「試合の展開的に打たれてはいけない場面のホームランだったので悔しい気持ちが大きかった。今となっては何かと映像で出てくるので、話題によく出てきますね」と懐かしんだ。【桑原幹久】