阪神からドラフト1位指名を受けた白鷗大・大山悠輔内野手(21)。つくば秀英から白鷗大と、全国的には無名に近い存在から、大学日本代表で4番を務めるまでのし上がり、栄光の1位指名を受けた。緊急連載で、未来の大砲候補と期待されるまで成長した足跡に迫る。

大山には、トラックの車内で交わした約束がある。4年前の秋。高校で進路についての面談を終えた帰りだった。トラック運転手の父正美さん(49)と並んで座っていた。プロから声が掛かる可能性はほぼゼロ。重苦しい空気が流れる。そんな雰囲気を打ち破るように大山は父に告げた。

「俺は白鷗大に行くよ。大学ジャパンに入ってその後、プロにいく」

高校からプロ入りするという夢はかなわなかった。挫折が礎になっている。

常総学院、霞ケ浦など県内の強豪校から誘いを受けた大山が、進学先に選んだのは、全国どころか関東大会にも出場経験のないつくば秀英だった。当時3年には憧れの塚原(現オリックス)もいた。個性を伸ばす指導法にも引かれた。何よりも強豪校に挑みたいというハングリー精神が大山にはあった。

ただ、環境は恵まれているとは言えなかった。専用のグラウンドはなし。あるのは寮の近くにある練習場。そこには縦100メートル横30メートルの外野グラウンド、内野サブグラウンド、室内練習場、ブルペン、150メートルの砂場のトラックがあるが、フリー打撃はできない。週2回ほどつくば市内のグラウンドを借りて打撃練習をしていた。

当時コーチを務めていた同校の森田健文監督(31)は懐かしそうに振り返る。「最初、打撃練習を見たときは手を抜いているのかなと思ったんです。そう思うくらい力まずに振っている。だけど違うんです。軽く振ってるようで飛んでいく。性格は本当におとなしい子。教室にいるとどこにいるか分からない(笑い)」

物静かだが野球への情熱は人一倍だった。野手としては強豪校に比べて「ハンディ」だったが、努力でカバーした。学校が終わると自転車で6キロの距離をこいで練習場へ。練習、夕食、練習と深夜までバットを振ることもあった。

華やかな舞台を歩んできたわけではない。3年夏は土浦三に敗れ初戦敗退。8回にマウンドに上がった大山が相手4番に決勝打を許した。春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭・藤浪のガッツポーズは、テレビの中継で見た。甲子園を知らない。神宮のグラウンドも大学ジャパンに選ばれて初めて足を踏み入れた。雑草魂を宿したドラフト1位が、本当にあの時、父親と交わした約束を現実にした。