ロハスが、虎の負の歴史にピリオドを打つ。阪神のデータを深く掘り下げる、スカイAの人気番組「虎ヲタ」出演中の高野勲記者は、メル・ロハス・ジュニア外野手(30=韓国・KT)の長打力発揮に大きな期待を寄せています。過去に阪神に加入した長距離スイッチヒッターに目立った活躍はない。ロハスが本塁打を量産すれば、新たな歴史を刻みます。

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昨年韓国球界で47本塁打をかっ飛ばした両打ち助っ人ロハスが、日本デビューを果たした。ここから本領を発揮し左右両打席から本塁打を連発すれば、球団初の存在といえる。阪神のスイッチヒッターが記録した本塁打の合計は、わずか81本。後に阪神入りする松永浩美が1人で放った通算203本塁打の、わずか3分の1強に過ぎない。

阪神の両打ち選手の特徴は、移籍選手と外国人が多いことだ。球団初は、39年に阪急(現オリックス)から獲得した堀尾文人だった。ハワイから来日した日系選手で、日本球界初のスイッチ打者でもあった。日米関係の悪化により3年で帰国した。2リーグ分立後初は70年バレンタイン。65試合で4番を務めたが、11本塁打に終わる。これが現在も、両打ち選手の年間チーム最多本塁打である。

その後、太平洋(現西武)から加わった加藤博一は、明るい個性と俊足でチームを盛り上げたが、大洋(現DeNA)へと移籍した。85~90年の大野久は在籍中に通算17本塁打。本来は短距離打者だが、これが両打ち打者の通算最多である。

他球団では実績十分のスイッチヒッターたちも、阪神に来た途端に元気がなくなった。広島黄金時代の立役者高橋慶彦は91年ロッテから加わったが、阪神では0本塁打に終わった。オリックスから獲得した松永は、NPB両打ち最多の203本塁打。ところが阪神では故障に泣く。8本塁打に終わり、1年でダイエーへFA移籍した。00年シーズン中に日本ハムから呼び寄せたフランクリンは、99年30本塁打を誇ったが、手首の骨折でわずか8試合の出場だった。

メジャーからNPBに復帰した西岡剛は、13年に二塁手のベストナインを獲得と大きく期待が膨らんだ。ところが14年3月30日巨人戦で福留と交錯し、鼻骨骨折などを負う。16年にはアキレス腱(けん)断裂と大けがが相次ぎ、18年に戦力外となった。

長年にわたる負の連鎖を、ロハスは断ち切ることができるか。新たな歴史を紡げば、16年ぶりの優勝も近づくはずだ。

<他球団で活躍した主な両打ち大砲>

◆柴田勲(巨人)通算579盗塁の日本人スイッチヒッターの草分け。194本塁打は巨人史上8位で、69年には全盛時の王、長嶋に挟まれ4番も1試合務めた。

◆オレステス・デストラーデ(西武)89年途中に来日し、3度のキングを含む160本塁打。秋山幸二、清原和博と最強クリーンアップを形成し、西武の黄金時代を引っ張った。

◆松井稼頭央(西武-楽天-西武)02年にはトリプルスリーを達成。俊足巧打に加え、NPB通算201本塁打と長打力も兼ね備えた。

◆フェルナンド・セギノール(オリックス-日本ハム-楽天-オリックス)1試合両打席ホームランを9度はNPB最多。04年には本塁打王となり、通算172本塁打。