【編集委員スペシャル 寺尾が斬る】

「虎の4番」は大丈夫? 阪神が新外国人マウロ・ゴメス内野手(29=ナショナルズ)を獲得。リーグ最少82本塁打だったチームに待望の4番候補だ。しかし、これまで外国人打者の成功例が乏しいだけに、容易に太鼓判を押すわけにはいかない。過去にどれだけの外れ助っ人が在籍したかを調べた。ゴメスよ、彼らを反面教師にしなさい !?

また始まったか。大砲ゴメス、守護神・呉昇桓を獲得。ゴメスは3A29発のスラッガー。虎に「4番」が誕生したとか。だが待てよ。4番、4番といわれて、どれだけダマされてきたか。1球も打ってないのに「4番決定」の空手形。阪神取材歴二十数年、何度も裏切られてきた。過去の外れ助っ人の系譜をたどっていくと、決してうのみにはできないが…。

1年前も同じような大見出しが躍った。「4番コンラッド!」。成績をみればホームラン打者でないのは明白だったが案の定。両打ちはチャーミングだが、球団初の打点0でご帰国。大砲の前触れも1軍24試合出場、本塁打も0でグッバイなんて悲しすぎるぜ。

外国人は日本で大化けの可能性もあるから、ちょっぴり期待したのが甘かった。やっぱりだ。バットも不発、三塁守備も、いきなり横手投げってどういうこと? そりゃないぜ、コンラッド。打てない、守れない。渉外担当の調査不足を指摘されても仕方がない。

過去にも驚異の大物がいた。「横綱」は文句なしで97年グリーンウェル。現地に派遣された記者の報告では、川が流れる庭園を馬車で移動するフロリダの自宅はまるでメリーゴーラウンド。“ミスターレッドソックス”の異名を持つ超大物の推定年俸は3億6000万円。やや遅れての来日。史上最強助っ人といわれたが、自打球を受けて右足甲を骨折する。

球団が開いた緊急会見はショッキングだった。グリーンウェル様、引退! 「こうなったのは神のお告げ…」。たった7試合で退団どころか、ユニホームをぬぐというではないか。当時の三好球団社長は「嵐のように去っていった」と名セリフ…。まさにオー・マイ・ゴッドだ。

有り難くないあだ名をつけられた助っ人も数多かった。79年スタントンは、当時の日本記録136三振を喫して「打たんトン」、80年ボウクレアは「ぼんくら屋」とたたかれる。外れ助っ人の「関脇」は99年ブロワーズで「ボロワーズ」。4番三塁で2桁本塁打を記録するも、野村監督と反りが合わず不振で帰国していった.

「大関」は94年ディアーだ。貫禄十分も70試合でお役御免。メジャー226発の触れ込みはさすが、高知・安芸の春季キャンプでは柵越え連発で、急きょ外野奥に防御ネットが張られたほど。“ディアーネット”の新設も、本番ではまるで大型扇風機。変化球に苦慮して三振率3割9分6厘のハイアベレージがむなしかった。

97年ハイアット、00年バトル、04年キンケード、09年メンチ…。これだけ“空振り”を続ければ、助っ人に依存度の高い日本だけに、チーム低迷も自明の理。83年バース、91年オマリー、10年マートンらの有能ぶりはまさに奇跡的。頼むよ、ゴメス。今度こそ虎党に夢のアーチをかけてくれないか。

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◆【阪神】優良外国人打者 ラインバック(76~80年)はハッスルプレーが売りで、東京にまで後援会ができた。バース(83~88年)は、85年三冠王となり日本一に貢献。翌86年も三冠王。フィルダー(89年)は38本塁打。1年でメジャーに復帰し90、91年ア・リーグ本塁打王。オマリー(91~94年)は93年に3割2分9厘で首位打者。現在は打撃コーチ補佐として、ゴメスの相談相手にも期待がかかる。マートン(10年~)は1年目で日本記録となるシーズン214安打など3度のセ最多安打と活躍している。

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【阪神】主な期待はずれ外国人打者

◆グリーンウェル (97年) 期待の裏切り方では日本最悪クラス。7試合の出場で1億8000万円(推定)を持ち帰られた。

◆ディアー (94年) 70試合で76三振。本番ではなくけいこ場の様子で名を残す、誠に珍しい存在。

◆ブロワーズ (99年) 変化球攻めに四苦八苦。不振で途中交代した試合では、拍手が湧き起こった。

◆ジョーンズ (88年) バースの代役。日本球界初の背番号00をつけたが、成績もゼロを積み重ねた。

◆マックファーデン (72年) わずか2本塁打ながら残留も、翌年の年俸提示に不満。日本初の年俸調停選手としてのみ名を刻んだ。

◆スタントン (79年) 23本塁打と面目は保ったが、確実性に欠けた。

◆ボウクレア (80年) 途中退団のヒルトンに替わって入団も、強打者ひしめく外野で肩身の狭い日々。

◆ハイアット (97年) 序盤は本塁打を量産したが、腰痛でブレーキ。

◆バトル (00年) 外国人枠とも故障とも無関係ながら、開幕2軍。出場13試合で3犠打という珍記録も。

◆キンケード (04年) オープン戦で本塁打量産。ところが公式戦26試合で12死球を当てられ、戦列離脱。

◆スペンサー (05~06年) 浜中らとの競争に敗北。

◆フォード (08年) 変化球に対応できず、1、2軍を往復。

◆メンチ (09年) メジャー89発。「相手投手にメンチ切る」と見出しが躍ったが、0本塁打で契約を切られた。

◆コンラッド (13年) 中村GMがわずか2分で獲得を即決した両打ち打者。右でも左でも快音は出ず、出場わずか24試合。主戦場は鳴尾浜だった。