引退が発表された西武松坂大輔投手(40)の横浜高時代の恩師である渡辺元智氏(76)が、教え子をねぎらった。

まず口にしたのは、松坂の生きざまへの称賛だった。「私の教え子だから、ではなく、第三者的に思うことですが」と前置きし、続けた。「世界中にコロナや自然災害が起き、苦しんでいる人がたくさんいる。松坂は栄光と挫折、両方の野球人生を味わった。そのことが、苦しんでいる人たちに、力強いインパクトと勇気を与えた気がします。一世を風靡(ふうび)しながら、肩が上がらなくなるまで、限界まで野球人生を貫いた。最後まで1つの道をやり遂げようという、生きる姿が、世の中は順調にいくだけではないということを教えてくれました」。

横浜高では、3年時の98年に春夏連覇を達成。「平成の怪物」と呼ばれたが、最初に思い出されるのは、栄光ではなく、挫折の方だという。「彼が2年生の夏、Y校(横浜商)戦で暴投をして負けたことが、人生の大きな糧になったと思います」。97年夏の神奈川大会準決勝で自らの暴投によるサヨナラ負けを喫した。「そこから、彼は『ワン・フォー・オール』ということを口にするようになった。それでチームが1つになりました。(その後の)44連勝のスタートだったわけです。3年夏のPL学園戦や明徳義塾戦。思い出は尽きませんが、1つの暴投が人生のターニングポイントだったのではないでしょうか」と振り返った。

暴投は、9回に同点に追い付かれ、なお1死一、三塁の場面だった。実は、スクイズを外そうと投げたボールが高めにそれ、暴投になった。「スクイズを外す練習をしていました。それが、大きくそれて。私は、そのことで一時、厳しく叱咤(しった)してしまった。後になって考えると、申し訳なかったと思います。練習の結果ですから。でも、松坂は言い訳もせず、みんなに『悪かった』と」。負けた後、目に涙をためていた。「そんな姿を見たのは、最初で最後でした。勝っても、見たことがなかった」。

プロに入ってからも数々の栄光を手にした松坂。ただ、その源には、高校時代の暴投による挫折があると、恩師は感じている。「本人がどう思っているかは分かりませんが、私は、あの暴投がターニングポイントだったと思います」とおもんぱかった。

贈る言葉を問われ、こう答えた。「『よくやった。おめでとう』と言いたい。我ひとつの道をもって、これを貫き通す。まだまだ、もっとやりたいという思いもあるかも知れませんが、自分だけの人生ではないので、それも許されない。でも、自分なりの人生をぎりぎりまで貫いた。最後は、本人が決断したのだと思います」。教え子を語る口調は、熱く、そして優しかった。