「怪物」と騒がれる同学年エースの素顔を知ってから、妙な親近感がわいた。久保康友投手は23年前の夏を忘れられない。アジアAAA野球選手権の日本代表に入り、甲子園を春夏連覇した横浜の松坂大輔とキャッチボールをする機会があった。ちゃめっ気が出て、変化球を投げた。

思いもしない軌道を描いてグラブへ。不意を突かれた松坂は、目を丸くして、思わず声を上ずらせた。

「カーブの投げ方してるのにシュートしてるよ!」

98年は、高校球児の間で「宜野座カーブ」が話題になったころだった。魔球とも言われた。久保は笑いながら、まぜっ返す。

「俺しか投げられへん。『クボール』や」

久保はいま、あのときの松坂の姿を鮮明に覚えている。「悔しそうにずっと練習していたんです。器用にスライダーもカットボールでも何でも投げていた。だからプライドが許さなかったんでしょうね。コイツ、ホンマ、野球好きやな。野球小僧なんです」。はるか遠くを走るライバルに、深く共鳴した瞬間だった。

「怪物」に触れたのは98年春のセンバツだった。関大第一(大阪)の背番号1として横浜松坂と対戦した。0-3で敗れて準優勝。その結果以上に、大エースの器に触れた。「対戦前から別格、別物でした。だから、自分なりにどうやって足をすくえるかを考えていた」。小雨が降る試合だった。マウンドで持つロジンバッグを交代で使う。久保はそこに目を付けた。

「暑いけど頑張ろうな」

「キツイよなあ」

攻守交代時、わざと松坂にささやき続けた。「マウンドで話し掛けて、集中力を切らせようと思ったんです。気張っていたら緩む。もっと入れ込んでいるのかと思ったらあまりにも冷静だった。まったく効かなかった…。もともと、実力が上で、野球のやり方まで、すべてが上でした」。決勝の大舞台だ。勝つために松坂の心を乱そうとしたが、土俵が違った。「普通に戦って無理でもあがきたい。何とかせなアカンと。20年たっても覚えてます」。9回3失点の善戦及ばず、完封負け。その後、ロッテや阪神、DeNAで97勝を挙げた右腕は「勝負以外で崩そうと思ったのは松坂くらい」と、いまも脱帽する。

久保は松坂に7年遅れて05年からプロで活躍した。ドラフト自由枠でロッテ入りした際「松坂世代最後の大物」と称された。当時を振り返り「実力以上、ですよね。話題に上がらないと最初は使ってもらえない」と感謝する。久保はDeNAを退団後、18年からメキシコなど海外でプレー。いまはコロナ禍のため日本で体を動かす日々だ。グラウンドを去る仲間を察する。

「アイツが野球を好きなのを知っています。体が動いて、投げて終われればいいのですが。悔しくて、つらいと思う。日本球界に帰ってからも戦っていたと思います。よほど、野球が好きで、自分がやりたい野球をやろうとして。好きなことに人生をかけられるのは本当にすごいこと。追い求められるものがあって、僕はうらやましいですね」

23年前の夏、松坂大輔は久保に学んだ魔球を何度も投げようとした。揺るぎなき実績を重ねても名声や地位にとらわれず、一途に野球に挑んできた姿に、当時の仲間はエールを送った。【酒井俊作】