木下雄介さんの母校、生光学園(徳島)で監督を務めていた山北栄治校長兼野球部長(59)は5日に職員からの連絡で訃報を知り、言葉を失った。11年の高3夏の徳島大会は、背番号「10」の木下がチームをけん引。「決勝で徳島商に敗れたのですが、5試合全てを彼が先発した。準々決勝では完封、準決勝では完投もしてくれたと記憶しています」。エースをリリーフに控えさせ、先発として獅子奮迅の大活躍で初の甲子園出場まであと1歩だった。

卒業後は駒大に進学したが故障のため1年で中退。両親と退学の報告に来たという。16年に念願のプロ入りを決めてからも毎年、妻子や両親と一緒に訪れるなど近況報告を欠かさなかった。「彼も律義だったが保護者もしっかりしていい方でした。明るい家庭でした」。教え子の早すぎる死が信じられないようだった。