日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

   ◇   ◇   ◇

阪神はドラフト新人補強の当たり年になった。開幕ダッシュを佐藤輝がけん引し、社会人出身の伊藤将がリリーフでなく先発として、中野が懸案のショートで戦力になった。

青柳、秋山ら下位指名の選手が主力で働くチーム作りは好感度も高い。そのスカウティングのサクセスストーリーに、プロ・アマ規定に抵触して“ケチ”がついた。

プロスカウトが高校生と面談できるのは、高野連にプロ志望届の提出後と定められている。阪神はこれに違反し、未提出だった天理・達孝太投手と事前接触したことで混乱した。

厳しく追及する気になれなかったのは、あまりに軽率すぎる凡ミスで、あっけにとられてしまったからだ。いったいどうしてこれが起きたのか不思議で仕方がなかった。

高野連は天理高監督、部長に厳重注意。阪神球団から謝罪コメントが流れたが、メディアと直接のやりとりはなかった。どこで間違いが生じたかは不明。説明責任があるはずだがかなわなかった。

プロ野球界を支えてきた球団としては残念な対応だった。過去の経緯をたどれば大問題に発展しかねないドラフト関連だが、アマ側も寛容に収めたということだろう。

プロからのアプローチにアマ側が過敏に反応するのは、これまでのドラフトで価格競争、裏金に伴う金銭授受が横行するなど、プロ・アマ間の問題を取材しながら痛感してきたことだ。

そもそもプロ・アマ断絶の歴史は1961年(昭36)の「柳川事件」が契機だった。ドラフト施行前で自由競争だったが、両者間ではスカウト活動に関する協定が結ばれてきた。

しかし、その年は無協定状態で、日本生命の外野手だった柳川福三を巡って、水面下で阪急、巨人、南海、近鉄などの争奪戦が展開された末、中日が独自で引き抜き、契約締結を発表した。

社会人野球協会(現日本野球連盟)は、プロ退団者の受け入れを一切拒否。日本学生野球協会は、高校、大学生に対する指導を禁じることを決め、プロ・アマは冷たい関係が続いた。

忌まわしい歴史の雪解けは、プロと社会人が歩み寄り、段階を踏んで学生に指導ができる「学生野球資格回復制度」ができ、相互が関係修復を続けた結果だった。

軽はずみな行動とはいえ、不信感という名の傷につながらないとも限らないのは、過去のドラフト史から学んだことだ。(敬称略)