ヤクルト高津臣吾監督(52)は、チームを6年ぶりのリーグに導いた。2年連続の最下位から立て直しての下克上。指導者としての原点は新潟にある。

11年にBC・新潟に選手として加入。当時は、設立されてから4シーズン目が終わったばかりの比較的新しいリーグ。現在ほど地域に根付いてはいなかった。当時BC・新潟の経営企画室室長だった、池田拓史社長(40)は「野球事業を通じて新潟を元気にしたいということで、立ち上げからずっとやっていた。本当に情熱というか、熱意で、新潟のみなさんが野球で盛り上がるように、高津さんという方を身近に見られるというのを作りたいと、ひたすらお願いさせていただきました」と振り返る。

翌12年からは選手兼任監督に就任。新体制最初のミーティングで選手たちに投げかけた言葉が、今でも池田社長の印象に残っている。「グラウンドに上がるときは『よっしゃやってやるぞ』とスッキリした気持ちでグラウンドに立つことが大事だというのはすごくおっしゃってた。野球に関することももちろんですし、プライベートに関わることも含めて、モヤモヤしたものというか、100%集中してグラウンドに上がれないというのは非常に良くないので。もしそういうことがあれば、なんでもいいからいつでも相談しなさいと、そういったことを選手に伝えていました」。

今でもヤクルトの選手たちにかけている言葉と全く同じ。9年前から指導者としての気概を見せていた。負けた試合後はミーティングの時間を極力短くするなど、切り替えも重要視。就任1年目で新潟を球団史上初の独立リーグ日本一にのし上げた。

なんでも相談に乗る。兄貴分のような指導者像で、ヤクルトでもリーグ優勝に導いた。

◆高津臣吾(たかつ・しんご)1968年(昭43)11月25日、広島県生まれ。広島工-亜大を経て90年ドラフト3位でヤクルト入団。最優秀救援投手4度。03年オフにFAでホワイトソックス移籍。メッツ、ヤクルト、韓国ウリ、台湾興農、BC新潟を経て12年引退。日本通算286セーブは歴代2位。14年に1軍投手コーチでヤクルトに復帰し、20年から監督。180センチ、75キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸8000万円。

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