大地からの鳴動は、今も全身が覚えている。ロッテのドラフト2位、国士舘大・池田来翔内野手(21)が、熱い夏を振り返った。

「ネクストのあたりで震えて、打席に入ったらもうガタガタで。めったに体験できないことですし。夏の大会は特にすごいっすね。周りのお客さんの歓声もあって音が聞こえてきて」

母校は千葉・習志野高。全国クラスの実力を誇る吹奏楽部が有名で、その群を抜く音量とハーモニーは“美爆音”として名をとどろかせる。実家から自転車で15分ほどの習志野高にあこがれたきっかけも、中学時代に聞いた野球応援の演奏だった。高校に入ったら、もっとすごかった。「最初は本当に足が震えました。地面から音が流れてくるような感覚がありますね」。グラウンドレベルの衝撃を回想する。

同じクラスにも野球部4人に対し、吹奏楽部が10人いた。「仲良かったです。吹奏楽部さんは朝早くから練習されてたので、僕らもその気持ちに応えないといけない気持ちは現役の時はすごくありました」。

甲子園出場はかなわなかったが、いつも勇気づけてくれた。有名な応援曲「レッツゴー習志野」に「他の学校にはないので特別な曲です」と胸を張る一方で、一番のお気に入りは自身の応援歌としても演奏された「エル・クンバンチェロ」だ。父の真樹さん(48)が社会人野球のNTT関東(現NTT東日本)でプレーしていた時の応援歌でもあり、吹奏楽部にお願いし、自分にも使ってもらった。「もとから好きな曲だったので、習志野高校の吹奏楽部さんの演奏で応援してもらえて、とても気持ちがたかぶりました」。歯切れよく流れるような曲調が、打席を後押ししてくれた。

大学で力を伸ばし、ドラフト2位で地元球団にプロ入りする。コロナ禍でここ2年は実現しなかったが18年、19年と母校の吹奏楽部がZOZOマリンの右翼席を訪れ、ロッテファンたちの応援を先導した。

30日は、母校がある縁で習志野市役所を表敬訪問した。宮本泰介市長(48)からは「また習志野高校の美爆音がスタンドに行くと思っています。その時にぜひ、勝利に貢献していただけると。実はまだ(演奏した日に)勝ってないんですよね」とお願いされた。

市長からの依頼を受け止めた池田は、そのシーンを思い描く。

「習志野の応援というのはどこに行ってもすごいというのは聞くので、もう1回、千葉ロッテマリーンズのユニホームを着て、あの中でプレーしたいというのはすごくありますね」

マリンでの美爆音も、12球団で一番熱いとされるロッテファンの大声量も、コロナ禍が落ち着けば、いつかきっと復活する。強打者池田をたかぶらせる、最強のBGMだ。【金子真仁】