若手指導はお任せ! 阪神2軍投手コーチに救援で05年のリーグ優勝に貢献した江草仁貴氏(41)が就任する。17年の現役引退後、18年2月に、元プロ野球関係者が学生野球の指導者になるために必要な「学生野球資格回復」の適正認定者となった。阪神、西武、広島と3球団を渡り歩いた左腕の指導者像とは。18年3月から今年11月まで指導した大阪電通大に「潜入」した。【取材・構成=中野椋】

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18年3月1日。江草氏は阪神大学リーグに所属する大阪電通大の投手コーチに就任した。前年10月に強化指定クラブに選ばれたチームは、同年の秋、2部東リーグ戦で最下位に沈んでいた。「弱いチームを強くするって、面白いと感じたんです」と燃えるものがあった。

2回りも年の離れた大学生と向き合うことが、指導者人生のスタートだった。当初は、衝突することも1度や2度ではなかった。「練習メニューに『納得できません』って言われたこともありますよ。今の子は理解して、納得してくれないと動いてくれない。根性論ではダメなんだと痛感しました」。

20人を超す大所帯の投手陣と1人1人、交換ノートで意見をぶつけ合った。時には選手を打席に立たせ、自らマウンドで投球を披露。「お手本」を肌で感じさせた。リーグ戦前には決起集会でテーブルを囲み、試合で活躍した選手には焼き肉をごちそう。「壁は作らないようにしてました」。兄貴分的な厳しさと優しさを持ち合わせ、学生のモチベーションアップに努めた。

コミュニケーションの大切さは現役時代、当時レギュラー捕手だった矢野監督から学んだ。「『サインに首、振っていいからな』と言ってくださって。でも首を振ったら振ったで『何で振ったんや』って言われました(笑い)。理由を説明して、意見をすり合わせたら納得してくださいました」。何がダメで、何が正解か。2度のリーグ優勝をけん引した女房役と本音で語り合った経験が、指導者になった今も生かされている。

3年9カ月の指導で、投手陣の平均球速は約10キロアップ。今秋は2部東リーグで2位。最下位が定位置のチームではなくなった。「かわいい大学生たちをまだまだ見たい」と本音も漏れるが「練習しなかった選手が、自らするようになった」と成長に目を細める。1人1人に寄り添い、ノビノビとプレーさせるスタイルは、若い選手が多い阪神2軍投手陣にピッタリだろう。新天地でも若手受け抜群の「江草スタイル」で、1軍戦力を育成する。【中野椋】

○…江草コーチと最も“ケンカ”してきたのが、投手陣のリーダー役を務める北浦星河投手(3年=かわち野)。練習メニューを決める際、何度も意見の食い違いがあったという。「柔軟に話を聞いてくださり、説明もしてくれる。最後は江草コーチが折れてくれます。寂しいですけど、良い報告ができるように頑張りたい」と感謝した。阪神入団会見5日前の11月28日には、ナインがメッセージで埋め尽くした色紙と花束を贈った。江草コーチは「泣くの、我慢しました」と、万感の思いで大阪・四條畷市のグラウンドを後にした。

◆大阪電通大硬式野球部 1962年(昭37)創部。阪神大学野球連盟2部東リーグ所属。15年春には1985年春以来、30年ぶりの2部リーグ優勝を果たすも、入れ替え戦出場決定戦で流通科学大に敗れ1部昇格ならず。17年に大学の強化指定クラブに認定。部員59名。鈴木佑亮監督。

◆江草仁貴(えぐさ・ひろたか)1980年(昭55)9月3日生まれ。広島県出身。盈進、専大を経て、02年ドラフト自由枠で阪神入団。主に中継ぎを務め、05年には桟原、橋本との救援トリオ「SHE」で優勝に貢献。シーズン50試合以上登板を4度こなした。11年5月にトレードで西武移籍。12年3月に再びトレードで広島移籍。17年限りで現役引退。通算成績は349試合で22勝17敗48ホールド、防御率3・15。妻はバレーボール女子元日本代表で、Vリーグ女子1部姫路の取締役球団副社長を務める竹下佳江さん。現役時代は178センチ、83キロ。左投げ左打ち。