阪神ナインの原点、足跡をたどる企画「猛虎のルーツ」の今回は、ドラフト2位の創価大・鈴木勇斗投手(21)。最速152キロ左腕は鹿屋中央高まで鹿児島で過ごした。父洋さん(54)と母亮子さん(51)が幼少期の姿、野球を始めたきっかけなど人間・鈴木勇斗をたっぷり語った。【取材・構成=前山慎治】

【関連記事】阪神タイガースニュース一覧

12球団のスカウトを魅了した左腕は天性のサウスポーだった。幼少期、鹿児島・日置市の自宅前で生まれて初めてキャッチボールをした際、右利きの鈴木は右投げの兄のグラブを借りた。ところがそれを右手につけた。「グラブをつけるのはそっちだ」と父洋さん(54)は左手を指したが、鈴木は首をかしげた。半ば強引に右手に装着し、当然のように左腕を振った。「左では普通に投げられたのに『右で投げてみろ』と言ったら全然投げられなかった。変な投げ方するんですよ」。ペンも箸も蹴るのも右。兄弟2人も両親も右利き。生粋の右利き一家だったが、鈴木は初めてボールを握ったそのとき、左腕に魂が宿った。

「正直中学生のときとか右利きのショートに憧れはありましたね。左はファーストか外野しか守れないので」。左投げの宿命とも言える少ないポジション。その1つの小高い山で鈴木は花開いた。

一方、生まれて初めての打席で鈴木は涙した。感動や喜びといった類いのものではない。吉利(よしとし)小4年のこと。所属した串木野黒潮小学部のある試合で、代打で初打席を迎えた。出たサインはスクイズ。これを失敗した。チームは僅差で勝利したが、鈴木は試合後、1人ベンチ裏で泣いた。洋さんが「なんで泣いてるんだ? 失敗したから泣いてるのか?」と問うと、「(自分のミスで)先輩たちの試合を終わらせなくてよかった。勝ててよかった」と理由を語った。洋さんは「ああ、この子は自分のためでなく、チームのためを第一に思える子なんだな」と目頭を熱くした。「どうして鈴木さんのお子さんはあんなに素直な子なんですか」。小学校や中学校で担任たちが口をそろえて聞いてきたエピソードも人間性を物語っている。

幼い頃、ほとんど兄弟げんかをしなかった鈴木が1度、5つ上の兄とけんかをしたことがあった。洋さんが仲裁に入り、事情を聴いた。「ささいなことだったんですが、兄ちゃんが勇斗に手を出したんですよね。だから『勇斗、(殴られた分)兄ちゃんを殴れ』と言いました」。鈴木は泣きながら兄の頬をサッと軽く触れる程度にはたいた。その直後、胸に手をやりこう言ったという。「手よりもここ(心)が痛い」。真っすぐで優しい心と言葉で洋さんを驚かせた。とっくに身長を抜かれた母亮子さん(51)はまだ小さかった頃の息子をこう思い返す。「反抗期もなく、家で怒ることもほとんどなかったです。よほどじゃないと気を荒くすることはないですよ。怖そうに見えますけど(笑い)」。

洋さんは前途洋々と虎入りした息子に言葉を送った。「ここ(プロ入り)が夢じゃなくてそこで活躍するのが目標だから。ここから左手一本で生活していかないといけない。応援してくれる人も多いから覚悟をもって」。自宅前から始まった野球人生。猛者たちが集うプロの世界で覚悟をもって生きていってほしい-。優しいまなざしで息子の背中を送り出した。

◆鈴木勇斗(すずき・ゆうと)2000年(平12)3月17日生まれ、鹿児島県出身。鹿屋中央では甲子園出場はなし。創価大では先発に定着した3年秋に東京新大学リーグ最多タイ4勝で優勝に貢献。MVP、最優秀投手賞、ベストナインの3冠に輝いた。座右の銘は西郷隆盛の漢詩の一節「耐雪梅花麗」。趣味は音楽鑑賞や水泳など。契約金7000万円、来季年俸1200万円(いずれも推定)。背番号28。174センチ、83キロ。左投げ左打ち。