1月4日は星野仙一さん(享年70)を思い出す日。当時の番記者が回顧する。

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キャンプも終わろうかという11年前の晩秋。まだ暗い倉敷マスカットスタジアムの正面玄関に、たたずむ男性が1人。

ずうずうしい当時の番記者たちは、星野監督が投宿するホテルに押しかけ「ハコ乗り」で球場に向かうのが日課となっていた。車窓から件(くだん)の姿を認め、のんきに「熱心なファンですねぇ。もういますよ」と声をかけた。

目をやった監督は「ば、板東さんやないか…本物じゃん」と車を飛び降り「先輩、どうしたんですか?」と詰め寄った。

まるで慌てる様子のない板東英二さんは「ここに来れば、間違いなく会えると思って」と笑った。

「とりあえず飯でも。まだでしょ」。みんなで監督室になだれ込み、いつものようにあんパンを食べることに。朝の7時前にカオスができあがった。

板東さんは、楽天監督に就任してからあいさつする機会がなく、ずっと気になっていたという。中日時代のかけ合いが始まった。

「新人の時、キャンプのブルペンで投げてると、後ろから煙が漂ってくるわけだ。甘くて、いい匂いもする。振り返ると板東さんが、手を温める炭火でイモを焼いてる。うまそうに食べて、引きあげてく。どうも、オレが投げるときに決まって焼きイモを…妨害してるなと」

「同じタイプのピッチャーが入ってきて、まずいと思ってさ。でも監督には関係なかったな。その年、引退したから」

秒の単位で空気をさらうと、板東さんは熱心にキャンプを視察。昼を待たず、満足げに球場を離れた。

星野監督は、不意に現れた来訪者が心底うれしかった。「お前たち、取材はもういいだろう。お好み焼きを食べよう。ビール飲めよ」。ユニホーム姿のまま、徒歩5分の「嵯峨野」へ向かった。

「板東さんとオレ」「相部屋のキャンプ」「宇野ヘディング事件の真相」…ランチで終わらず「夕方6時、いや5時30分にフロント出発だ」とエンドレスが決まった。

星野監督には「それはさておき」の閑話休題が存在しなかった。

相手に不快な印象を与えないギリギリを突き、周囲には自然と会話に加わる空間を与える。ユーモアの髄をよく理解していた。

板東さんにも、朝一番で倉敷まで足を運んで、腹の底から笑いたい心の機微があったのだろう。野球から国際情勢まで。たくさん聞かせてもらったが、ふと星野監督を思い出すのはこの手だ。【宮下敬至】