京都出身だと明かすと、ときどきうらやましがられる。「いいよね、寺とか行きたい放題じゃん」。金閣寺、南禅寺、平安神宮…。でも、地元民はそんな寺社仏閣に行くわけではない、たぶん。東京の人が東京タワーに行かないのと一緒だよね、たぶん。だから、先週末は妙にソワソワした。

人生で初めて京大の吉田キャンパスに入った。硬式野球部を取材するためなのだが、ついキョロキョロしてしまう。おびただしいビラが貼られた掲示板。「利尻島で昆布干しバイト」とか、月3000円台の入寮案内とか、とにかくカオスで自由さがプンプン漂う。

ゆるやかな気風を引き締めるのが、昨年11月に監督に就いた元ソフトバンク投手の近田怜王氏だ。「選手には『優勝をしっかり取りにいくぞ』と伝えてます。勝負事なのでトップを取らないと楽しくない。テスト明けから、しっかり野球の戦い方を植えつけていきたい」と、とにかく熱い。報徳学園(兵庫)では08年夏の甲子園8強。プロでは1軍昇格できなかったが、JR西日本でプレーするなど経験豊富な若き指導者だ。

まだ31歳。1月8日の始動から積極的に動いた。外野でノッカーを務めた後は打撃投手で登板する。変化球を交え、詰まらせていた。「僕は投手で、打者の特徴を投手目線から見たい。僕の球を打てなかったらリーグ戦では打てない。選手1人でも伸びてくれたらいい」。17年から同校でコーチを務め、20年から助監督だった。関西学生野球では1939年(昭14)秋以来、83年ぶりの優勝を狙う。

京大は知られざる学生野球のルーツを持つ。1898年(明31)に創部。2018年11月17日の120周年記念式典で宝馨部長(現日本高野連会長)があいさつし「皆さん、高校野球の試合開始時に両校整列して礼を交わすことはよくご存じですね」と切り出した。1911年(明44)に京大主催の大会で、第二高等学校(現東北大の一部)から提案されて、試合前後の整列と礼を「京大野球部がこれを始めた」と紹介する。夏の甲子園の前身である全国中等学校野球大会も京大主催の大会が源流だという。分厚い「京都大学野球部120年史」に出ている。

野球を愛するDNAは後輩が継ぐ。昨年まで3季連続最下位だが、手堅く守って善戦する印象が強い。近田監督に強化ポイントを問えば「一番はバッテリー。重点的に育てたい」と即答した。プロ注目で同校最速152キロ右腕の水口創太投手(3年=膳所)もいる。「エースじゃない。競争になる。プロ注目であろうと関係ない」と指揮官。初日から日が傾くまで動いた。京大に春はやってくるか。【酒井俊作】