球界の名物オーナーで知られるオリックス宮内義彦オーナー(86)が今季限りでの退任を発表した。昨季25年ぶりのリーグVを果たした。時には厳しく、不変の愛情を持ってチームを見守ってきた。ウイットにも富んだオーナー語録を再録する。

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【1988年】 ▽10月19日 阪急ブレーブスを買収したことを発表。「プロ野球を通して、私どもの存在を全国にアピールしたいと考えた。決して(企業の)PR役とは考えていないが、赤字でいいとは全く思わない」。

【1990年】 12月23日 年未恒例の球団関係者対報道陣の懇親野球大会が西宮第二球場で行われ、球団が11対4で勝利。オーナー自ら先発して4回を4失点で勝利投手となったが、6長短打を浴びてKO寸前。前年完封した勢いはなかった。「衰えましたね。でも表現は間違えないでくださいよ。交代したのは後進に道を譲ったんです。KOじゃありません」。

【1995年】 ▽9月19日 球団買収後、初のリーグ優勝。出張中のインドネシアで吉報を受け「優勝目前の足踏みがあっただけに、一層喜びを感じます。大震災で被災された市民の皆さまのため、の思いが原動力になったのでしょう」と喜んだ。

【1996年】 ▽10月24日 巨人を破り日本シリーズを制覇。「日本一になったけれど、紙一重だった。幸運の女神がほほ笑んでくれました。チームは日本一で、ファンは世界一。こういうチームを持てて幸せだと思う」。

【1998年】 ▽4月13日 37年ぶりの開幕6連敗にも、当時の仰木監督への変わらぬ信頼を強調。「会社(経営)でもこういうときはじっと辛抱するのが一番なんです。監督も同じ。仰木をクビにすると言ったら、あなた方(マスコミ)は喜ぶだろうが、そんなことは全く考えてません。6連敗で休養なら6連勝したら給料を倍にせなアカン理屈になる。まあもともと、うちは出だしが悪いチーム。今週中には勝てますよ」

【2003年】 ▽3月6日 女子ゴルフ・ダイキンオーキッドレディスのプロアマに出場し、オフの補強に関する裏話を暴露。「吉井、マックを取って補強はうまくいけた。でも、本当は新庄も狙っていたんだ」と明かした。今季のチームには手応えを感じている様子で「昨季のようなことはない。V字回復です」と優勝を期待していた。

【2004年】 ▽6月22日 合併後の本拠地を大阪、神戸2都市とする要望に「近鉄ファンとオリックスファンにまことに申し訳ないことをしているわけです。両チームのファンに支援してもらえるチームを作っていくしかない。両チームファンがこれならやむなしといえるようなものを、何とかつくっていきたい。(7月7日の)オーナー会議前に阪神久万オーナーと会うか? 予定はありません。球界全体で話し合う問題ですから」。

▽12月22日 合併球団入りを拒否した近鉄のエース岩隈に対し「新球団の発足にあたっては、まず前向きなチームづくりをし、できるだけ多くのファンのみなさまに門出を祝っていただくのが最も重要だと考えています。したがって、これまでの経緯もありますが、岩隈選手の東北楽天ゴールデンイーグルスとの金銭トレードを承認しました」と楽天入りを認めた。

【2005年】 ▽9月29日 体調面の不安を理由に、仰木監督はオーナーとの会談後に退任を明らかに。「この事情ばかりは無理にとは言えない」とオーナーもそれまでの奮闘をねぎらって了承した。ただ「仰木さんのおかげで素晴らしいチームになった。これまでの功績を考えてもこれでサヨナラはすべきじゃない」と話し、チーム運営をアドバイスする新ポスト「シニア・アドバイザー」への就任を要請し快諾を得た。

▽12月29日 清原和博、中村紀洋と球界の顔の獲得に成功し、06年のテーマに「打倒阪神」を掲げた。「やっぱり阪神との試合が関西を盛り上げる。むこうはもともと元気だから、われわれが頑張らんといけない。盛り上げる責任がある」と気勢を上げた。

【2006年】 ▽4月18日 日本ハム戦を観戦し、清原獲得の裏話を吐露。「仰木さんの魔力ですよ。ボクは最初はまったく(獲得することが)頭になかったんだけど、仰木さんが熱心でね。こうなるのを読んでいたんだろうね」と、前年末に亡くなった仰木前監督をしのんだ。

【2007年】 ▽10月4日 ドラフトで大阪桐蔭・中田のクジを逃し、嘆き節。「まさか最下位になるとは…。中田君も残念。クジも外れて落ちるところまで落ちましたな」と自虐的な笑いまで見せた。

【2008年】 ▽6月3日 球団の通算4500勝という節目の試合に立ち会い「そら、大変なこと。(初勝利は)昭和11年、僕が1歳の年だからね。子どものころから見ていた阪急の1勝も入っている。プロ野球で最も歴史あるチームの末裔(まつえい)。先人の大変な苦労もあったでしょう。次は5000勝に向かって欲しい」と、今後のチームにエールを送った。

【2010年】 ▽10月8日 シーズン報告に訪れた岡田監督に“永久政権”を約束? ここ8年で8人の監督が指揮を執る事態を「私にとって不幸な歴史」と振り返り「来年チームをいい形にしてもらって、さらに上に上にという動きができるなら、オーナーとしては監督にずっとやってもらいたい」と、成績アップを条件に、岡田監督の長期政権を示唆した。また、当時は横浜の球団売却交渉が進んでおり、オーナーは球団保有のメリットを強調し、身売りは「全くありません」と明言。「バファローズの名前は親からもらった名前として使っていきたい」とも話した。

【2012年】 ▽10月8日 シーズン途中から務めた森脇監督代行の来季監督就任が発表され「オリックスが阪急を買収した際(88年)に非常に強いチームで、日本一にもなった。ジリジリとチームの力が弱くなっている。6位に落ちた。長く、下り坂には耐えられない。もとの姿、強い伝統のあるチームに戻してほしい」と、絞り出すような口調で常勝軍団復活を熱望した。

【2017年】 ▽3月13日 激励パーティーでのあいさつで「去年はぶざまな結果で申し訳ない。リーグ最下位、ファームも最下位。球団始まって以来の屈辱」とおわび。続けて「『歌を忘れたカナリヤ』という歌があります。わがチームは、勝ちを忘れたバファローズになってしまった。勝ち方を思い出してもらうしかない。カナリヤの次の歌詞は『後ろの山にすてましょか』ですが、勝ちを忘れたバファローズは捨てるわけにはいきません」と童謡を引き合いに、チームにハッパをかけた。

【2021年】 ▽10月27日 25年ぶりのリーグ優勝を果たし、歓喜の胴上げ。「こんなうれしい夜をすごすのは25年ぶりでございます。143試合頑張り抜いてチャンピオンになられた。私はもちろんですが、多くのファン、日本中のファンが喜んでおられます。ありがとうございました」と万感の思いを語った。