努力はうそをつかない-。今季限りで現役引退を表明した阪神糸井嘉男外野手(41)による日刊スポーツのコラム「超人の流儀」。最終回は、プロ19年間の感謝とともに、野球への思い、後輩へ向けたエールなど、お決まりの糸井節も交えながら情熱たっぷりに語ってもらいました。【聞き手=古財稜明】

 

日刊スポーツの読者のみなさん、糸井嘉男です。このたび現役を引退することに決めました。19年間、終わってみたら早かった。投手でプロ入りして、野手で41歳までやるなんて想像もできなかったです。波瀾(はらん)万丈じゃないですけど、奥深かったプロ野球人生でした。

引退会見では実はストライプのスーツを用意していたんですけど、ちょっと体がデカくなっているんか、めっちゃきつくて…。「やっぱりタテジマやな」と思ってユニホームにしました。会見が終わってから「ほんまに辞めたんかな~」という感じであまり実感はなかったですけど、やっと湧いてきた感じはあります。

僕もちっちゃい頃から阪神ファンでした。地元は京都の田舎ですけど、阪神戦はテレビでやってましたし、遠いですけど甲子園に応援しに来たこともあります。ピッチャー一筋だったので、甲子園のマウンドで投げるのが夢でした。引退試合は投手として出たかった…、冗談です(笑い)。そんな憧れの阪神で最後プレーできたのは幸せでした。

ほんまに学生の時からめっちゃケガが多かったです。体にも手術の痕が5、6カ所あるし、よお41歳までアスリートでいれたなと。やっぱりケガしてプレーできなくなるのはつらい。「治るんかな」とか「また同じようにプレーできるんかな」という不安もめっちゃありました。でも大好きな野球なので、苦しいこともつらいことも乗り切れた。今は体にボルトは入ってないけど、超人でいるための“マイクロチップ”が僕の中に搭載されてます(笑い)。

筋トレに目覚めさせてくれたのはダルビッシュです。メジャーに行く2、3年前くらいはすんごいトレーニングしてました。それがボールにも伝わってたし、絶対的で強烈なピッチャーになった。栄養面、トレーニングだったり、あいつはほんまに知識がすごい。何でもやったことないことやるしね。札幌ドームで「僕が野手だったらもっと(筋トレ)やってますよ」って言われたのをすごく覚えてます。そこからすごい意識し始めました。ただ、途中ちょっと路線が間違ったのか、(筋肉で)“魅せる”競技の人と一緒にやり始めたので。ハッハッハッハッ。引退決断した時も電話で「超人やから、まだできるでしょう」って言ってくれました。ありがたかったです。

野球は結果が毎日ついてくるスポーツです。もちろんいい時、悪い時はあると思う。でも、どんな時でも野球への情熱があれば乗り越えられる。「今日あかんかったら明日、明日あかんかったら明後日」。その繰り返しやと思います。それがなぜできるかと言ったら、やっぱり野球が大好きやし、野球にかけてるし、情熱がものすごくあるから。みんなそうやと思います。

野手転向を経験して、打つにしても守るにしても、ほんまにゼロから当時のコーチの方々にたたき込まれて、人生で一番努力しました。初めてプロのピッチャーの球を1球見た時は、正直「無理やな」と思いましたけど、そこから練習を重ねていくことで、「うまくなってるな」という実感も湧いてきた。「努力はうそをつかない」とよくいいますけど、それはほんまに自分の中で体感しました。だから後輩たちにはそういう気持ちで頑張ってほしい。若い子らもすごい野球への情熱を感じますし、活躍がめちゃめちゃ楽しみです。

タイガースで1度でもいいから頂点に立ちたかったんですけど、夢かなわず、心残りはあります。でも、本当にファンの方たちのパワーってすごいなと思いましたし、ずっと応援していただいて、「ここまで頑張ったかいがあったな」と心の底から思っています。みなさんの声援がもうグラウンドで味わえないのは寂しいですけど、こんな中でプレーさせてもらって感謝してます。ほんまに19年間ありがとうございました!