中日の福留孝介外野手(45)が巨人戦(バンテリンドーム)で現役最後の試合に臨んだ。引退選手特例で昇格し、9回に右翼の守備から出場。その裏、日米通算1万245打席目の最終打席で二飛に倒れ、涙ぐみながらPL学園の先輩、立浪和義監督(53)と抱き合った。引退セレモニーで周囲への感謝を述べ、24年間の現役にピリオドを打った。

引退セレモニーでのあいさつは以下の通り。

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はじめに、このような引退セレモニーを開いていただきました中日球団、監督をはじめコーチ、選手、裏方の皆さん、最後まで球場に残っていただいたファンの皆さま、本当にありがとうございます。

小学生のときに串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、チームに引かれ、その中にいた立浪監督に憧れ、プロ野球選手を目指してきました。

1998年に星野監督の計らいでファン感謝デーに呼んでいただき、バックスクリーンの扉から1人で出てきたときの恥ずかしさは今でも鮮明に覚えています。その日からプロ野球人生がスタートしました。

24年間、素晴らしいチームメート、素晴らしい指導者の下、プレーさせていただき、その中、佐々木恭介コーチと出会い、打撃を一から作り直そう。そう言って毎日バットを振り続け、朝起きるときには、手がバットの形をして固まったまま。そんな日々を繰り返しながら、(巨人)松井秀喜さんに勝って初めて首位打者を獲得したとき、この世界でやっていける自信を持てたのを思い出します。

リーグ優勝、日本一、本当にたくさん楽しい思い出をつくらせていただきました。日本一になったときに、自分自身が故障でその場所にいられなかった。その悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います。

その後、海外、阪神タイガースでプレーさせていただきました。阪神タイガースでは8年間、日本一のグラウンドで、熱狂的なファンの皆さまの声援の中でプレーさせていただき、最後の甲子園球場ではライトスタンドから大きな福留コールをいただき、僕の一生の宝物です。本当にありがとうございました。

2年前、このドラゴンズに帰ってきて、もう1度このユニホーム着てプレーできたこと。自分の野球人生がスタートしたこの場所でファンの皆さまの声援に包まれてユニホームを脱げる。僕は本当に幸せ者です。最後に24年間、戦い続けることのできる体を生んで育ててくれた両親、本当にありがとう。

そして、一番近くで応援し、支えてくれた和枝、颯一(はやと)、桜楓(はるか)、本当にありがとう。

僕は今日でユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンの皆さん、声援をよろしくお願いします。24年間、温かいご声援、本当に本当にありがとうございました。

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