オヤジ、本当にお疲れさま-。今季限りでの勇退を表明しているオリックス宮内義彦オーナー(87=オリックス本社シニア・チェアマン)の息子・宮内修さん(49)を日刊スポーツが単独取材した。球団創設以来オーナー職を34年務めた父の影響もあり、熱烈なオリックスファンに。“現役ラストイヤー”を日本一で飾った父へ、感謝の祝杯を挙げた。【取材・構成=真柴健】

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あの電話は忘れられませんよね。88年「10・19」。私は高校生でした。近鉄とロッテが優勝を争うダブルヘッダーだったんですよ。すごく楽しみに、家でラジオを聴いていたんです。そしたら、阪急が買収されて球団が新しくなると一報が。「へぇ~」って聞き流してたんですよね。すると、電話がかかってきて「誰もいないじゃんか」と、私が出たんです。電話越しに「阪急を!」みたいな声ですよ。正直、わけがわかんない。こっちはダブルヘッダーを楽しみに、家にいるんですから。ジャンジャン鳴り続ける電話が怖くなりましたよ(笑い)。

うちの父の趣味は野球、クラシック音楽、読書でしょうか。私は野球のみの付き合いです。父は昔、会社で草野球チームをつくり「エース」だと威張っていました(笑い)。83年、父が48歳のとき、某銀行チーム相手に完全試合を達成したのが自慢です。

私はその影響で、一時は日本ハム、ロッテ、ヤクルト、大洋の4球団のファンクラブに入会していました。割引されたり、無料で入場できたりするじゃないですか? 父に連れられて、当時は後楽園球場、川崎球場、神宮球場、横浜スタジアム…。本当、よく行きましたね。

89年からオリックスを応援しています。父の影響で、必然的にそうなりますよね(笑い)。実家にいた頃、観戦から父が帰宅した瞬間、オリックスが勝ったか負けたかがわかりました。表情と空気感で全部わかるんですよね(笑い)。父は、試合を見られるタイミングがあれば、基本的にずっと見てます。今、87歳。ITなんて、ほとんど触れていない世代。それでも野球速報とパ・リーグTVはアプリで見るんです。あれが本当に不思議ですね。

最近で言えば、コロナ禍でオーナー席が封鎖されている球場があり「チケット取ってくれないか?」と頼んできたことがあります。おいおい、さすがにやめておけと(笑い)。そのぐらい、観戦したかったんでしょうね。野球を見るとき、私はお酒を飲むのですが、父は「真剣勝負」そのものです。「選手が戦っているのに、なんで酒を飲むんだ!」って。こっちは、いやいや、楽しく飲まないと見れないよ! って感じですね(笑い)。

兄と姉もオリックスを応援しています。僕は父がオーナー職を退いても、ずっと応援を続けると思います。もう30年以上もオヤジに付き合ってきたわけですからね(笑い)。今年の10月2日に連覇した夜、どうしようもなくなって、仙台に行きました。外野席のチケットを握りしめて…。オヤジの胴上げ、感動したなぁ。母に「これで死んだらどうするの?」って聞いたら「本望でしょ」ってね(笑い)。それぐらい熱量がありますね。

私も…。優勝争い中に眠れなくなって病院に行ったことがあります(苦笑い)。何もしてないのに緊張して気持ち悪くなる。医者に笑われました。「理由は野球でしょう」って。ずっと弱かった時期から振り返って、楽しいなぁって。正直に言って、CSに進出したら「ほぼ優勝」だと思っていましたから(笑い)。

父には「本当にお疲れさまでした」と伝えたいです。息子としては、まだまだ長生きしてほしい。のんびり野球を見てもらってね。今度は連番で行けるんじゃないですか? そのときはチケット、私が取ります。いつまでも、一緒にオリックス、応援しますよ!

◆オリックスの阪急球団買収 1988年(昭63)10月19日、阪急ブレーブスがリース業界最大手のオリエント・リースへの譲渡を発表した。推定譲渡金額は約40億円。オリエント・リースの宮内義彦社長(当時53歳)は同日夜、東京都内の自宅で取材に対応。神戸出身で「中学生のときから阪急ファン」と明かし、「決してグループ企業のPR役とは考えていない。赤字でいいとは全く思わない」と、球団経営をシビアに考える姿勢も見せた。翌年4月から企業名を「オリックス」と変更することが決まっており、新球団名は「オリックス・ブレーブス」。宮内社長は上田利治監督の留任や阪急電鉄からの職員の残留を求めて実現した。

◆宮内義彦(みやうち・よしひこ)1935年(昭10)9月13日生まれ、兵庫県出身。関学大卒。ワシントン大学経営学部大学院でMBA取得後、日綿実業(現双日)を経て1964年(昭39)にオリエント・リース(現オリックス)入社。80年に代表取締役社長。88年、阪急買収に伴いオリックス球団のオーナーに就任。00年会長兼グループ最高経営責任者(CEO)、14年からシニア・チェアマン。87歳は12球団オーナー最高齢。就任33年目の今年1月、今季限りでオーナー職を退くことを発表した。

◆宮内修(みやうち・おさむ)1973年(昭48)3月8日、東京都生まれ。スポーツメーカー勤務を経て、現在は株式会社あすき代表取締役会長。きょうだいは姉、兄の末っ子。中学まで野球をプレー。ポジションは主にファースト。その後はラグビー経験がある。183センチ、90キロ。右投げ右打ち。