もう3年も前になるのか。快晴の日差しが肌を焦がすハワイの朝。記者は足の激痛と引き換えに、レジェンドの人柄に触れる機会に恵まれた。

20年1月中旬。阪神を退団して移籍先が注目されていた鳥谷敬さんを取材するため、自主トレ地のハワイへ。そのまま数人が参加しているハードトレを少しだけかじらせてもらった。

午前9時。ワイキキビーチ近くの公園は早くも炎天下だ。心地よい汗を流しながら、ふかふかの天然芝で思った以上に体が動く…気がした。ノリノリでアップから飛ばしていると、まだ準備段階のランメニュー中から右ふくらはぎが悲鳴を上げた。おそらく軽い肉離れのような症状だったと記憶している。

運動不足の36歳素人がなぜ調子に乗ってしまったのか…。意気消沈して大木の木陰まで足を引きずっていると、静かに駆け寄ってくる人影に気付いた。鳥谷さんと自主トレを共にしていた、当時阪神所属の福留孝介さんだった。

福留さんは無言でかばんをゴソゴソ。手のひらサイズの治療器具を取り出すと「ほらっ、足出してみ」とこちらに振り向いた。驚きのあまり素直に右足を差し出すと、慣れた手つきで器具を操作。入念に治療をしてくれた後、「これで少しは動けるようになるやろ。ケガをしながら懸命にプレーしている選手たちの気持ちが少しは分かったか?」と照れくさそうに笑った。

もちろん、その間もトレーニングメニューは続いていた。わざわざ自分の練習を中断してまで、ただ単に準備不足だっただけの年下記者を気遣ってくれるとは…。スタープレーヤーの素の優しさがどれだけ身に染みたかは、わざわざ説明するまでもない。

中日、阪神ではもちろんのこと、大リーグや五輪、WBCでもスポットライトを浴び続けたレジェンド。強烈なオーラを放つプレーヤーは時に、近寄りがたい孤高の存在になりがちだ。それなのに後輩にあれだけ慕われる理由は何なのか? いわゆる「福留番」ではなかった記者がその一端を知ることができたのは、ただただ幸運だった。

福留さんは22年シーズン限りでユニホームを脱いだ。日米通算2450安打、327本塁打。その圧倒的な実績に加えて、厳しさと優しさを兼ね備えた人柄の持ち主なのだから…。指導者の未来を予想する人が大多数となるのも、必然なのかもしれない。【野球デスク=佐井陽介】