阪神岡田彰布監督(65)の早大時代のチームメートで、愛媛・小松高監督の宇佐美秀文氏(65)が日刊スポーツの取材に応じ、球友にエールを送った。昨年11月の秋季キャンプ(高知・安芸)で感じ取った「変化」や大学時代の秘話を明かし、18年ぶりのリーグ制覇を目指す岡田監督の挑戦を応援した。(聞き手=田口真一郎)

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岡田の野球といえば、前回の監督でJFKを作り上げたように、やはり守りが中心です。昨年11月の秋季キャンプに足を運びましたが、今回はショートの話ばかり。小幡に木浪。二塁手だった私に「内野だから見たら分かるだろう。ショートええやろ」とニンマリしていました。岡田はショートは「自衛隊」という考えで、守りを重要視しています。その点は変わらない。

その一方で、会話に変化も感じました。以前はあまりなかったが、選手をほめるようになった。西純や前川、井上といった若手をベタぼめ。野手最年長の梅野ともコミュニケーションを取り、求心力を高めているように見えた。それでいて、練習の雰囲気はピリッとしている。高校生が練習しているのではないか、というような緊張感がありました。

早大では4年生の時に監督が代わり、キャプテンである岡田を中心に、スタッフミーティングをやりました。試合の出来事をよく覚えていて、野球への見方が周囲とは次元が違う。私は故障者の都合で、臨時で遊撃を守った時があるのですが、一塁への送球が低かった。一塁手が「もうちょっと高く投げてくれよ」と言うと、岡田は間髪入れずに「何、言うてんの。それが一番ええボールや。ファーストが伸びて捕れるんやから」と鋭く言い放ちます。1年生からレギュラーを張っていましたが、「オレがよかったらいい」という姿を見せたことは1度もない。チームのため、みんなのため。それは強く感じました。

当時、東京6大学でレギュラーになれば、ファンが大勢くる。岡田はサイン色紙に必ず「有言実行」の言葉を書いていました。チームの中でも、率先垂範。黙って背中で引っ張るタイプで、夜中まで酒を飲んでも結果を出す。豪快な一面だけでなく、自分のこともよく分析していました。当時、神奈川テレビで全試合中継され、打席ごとにビデオをチェックしている姿を見たことがあります。普段はあまり言わないですが、「トップの位置がどうだ」とか「解説はああ言うていた」とかボソッとつぶやいていました。本人からは「オレは小、中で相当練習した」と聞きましたが、大学でも1年からOBに入れ代わり立ち代わり、ノックでしごかれ、それを乗り越える基礎体力があった。かなり練習していましたよ。

試合などではあまり感情をあらわにする姿は見なかったですが、1度だけむき出しにした場面が記憶に残っています。大学選手権の準々決勝。東海大が相手で、巨人監督の原辰徳はノーヒットで、サードにライナー性の打球を打った。キャッチした岡田は、思わずボールを地面にたたきつけた。原に対するライバル心ですよ。今回のドラフトでも、高松商の浅野君を巡って、互いに1位指名しました。電話でやりとりをしたとも聞いてますし、岡田の監督復帰は原監督が一番喜んでいるかもしれません。

今年は66歳の年になりますが、大きな仕事に挑戦する岡田の存在は我々にとっても、励みになります。

◆岡田監督の早大時代 東京6大学の歴史に名を残すスラッガーだった。通算81打点、打率3割7分9厘は現在もリーグ最高。20本塁打は4位、117安打は7位で、いずれも早大では最多だ。3年春の東大戦ではサイクル安打も達成。同年秋には3冠王にも輝いている。

◆宇佐美秀文(うさみ・ひでふみ)1957年(昭32)10月2日生まれ、愛媛県今治市出身。今治西高から早大に進み、3年時から二塁のレギュラー。副主将も務めた。監督として、83年夏に川之江高で甲子園出場。今治西高では95年には元ヤクルト藤井秀悟を擁しセンバツ4強。小松高でも14年夏に初めて愛媛大会を制し、愛媛の公立3校を甲子園に導いた。

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