プロ野球で捕手として活躍した岡村浩二(おかむら・こうじ)氏が1月29日、肺がんのため香川・高松市内の病院で死去していたことが2月2日、分かった。82歳だった。

葬儀は家族葬として執り行った。喪主は次男の克也さん。高松市内のホテルで4月29日に、お別れの会を開く。

岡村氏は1940年(昭15)11月10日、中国生まれ。高松商から立大を経て、61年に阪急(現オリックス)に入団した。3年目の63年から9年連続で100試合以上に出場するなど、正捕手としてプレー。阪急黄金時代の守りの要として活躍した。

また、南海(現ソフトバンク)の正捕手だった野村克也のライバルとして、パ・リーグをけん引。球宴に5度選出され、69年にはベストナインにも選ばれた。

69年10月30日に行われた巨人との日本シリーズ第4戦では、日本シリーズ初の退場処分を受けている。

4回裏無死一、三塁の場面でダブルスチールを仕掛けられ、二塁からの返球を受けた。三塁走者土井をブロックしたかに見えたが、判定はセーフ。これに不服の岡村氏は岡田球審の胸ぐらをつかみ、突き飛ばした。

日本シリーズの退場は史上3度あるが、他の2度はいずれも投手の危険球によるもの。暴力行為による退場は、現状では岡村氏が唯一。

72年には東映(現日本ハム)に移籍し、74年引退。通算成績は1370試合、848安打、85本塁打、395打点、打率2割2分4厘。

引退後は高松市内で、飲食店を経営していた。