日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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沖縄の桜は、1月中旬から下旬が見頃という。ヒカンザクラは県内北部から咲き始めるから、プロ野球でもっとも早く桜を愛でるのは、名護キャンプの日本ハムということになる。

今年は新球場「エスコンフィールド北海道」がオープニングするメモリアルが考慮され、他球団に先駆けて1日早い開幕日が設定されている。どのチームよりも先に、そして華々しく開幕を迎える。

新球場を「あれは欠陥球場だ!」と言い切った球界トップもいたが、心ある北海道のファンは温かく歓迎するに違いない。もはや日本ハムはプロ野球未開の地だった北の大地に根付いているからだ。

沖縄キャンプを開拓したのも、1979年(昭54)に名護市営球場(現タピックスタジアム名護)を使用した日本ハムだ。一塁側外にある説明書きのプレートを読みながら、球界に貢献した先人に思いをはせる。

今シーズンは「ビッグボス」改め「新庄監督」らしい。低迷しているチームだが、ダルビッシュ有、大谷らのメジャー移籍が表すように、自前で育ったと思ったら出ていってしまうのだから仕方がない。

それでも2年目シーズンを前に、堂々と「優勝宣言」したのは驚きだった。現役時代も、監督に就いても封印した2文字。「ぼくから優勝するなんて言ったのは生まれて初めてからもしれません」。今季にかける気持ちを隠せなかったようだ。

監督就任時は6億、7億、8億と稼いだと書かれた新庄には、昨オフもテレビ、イベントなど出演依頼が届いたが最小限にとどめたつもりだ。オン、オフの切り替えはあっても、やはりチーム作りのことが頭から離れなかった。

彼はメッツ時代のニューヨークで交わした拙者とのやりとりを持ち出した。「『お前、こんなすごいところ(米大リーグ)に立てないよ』と言われましたよね。ぼくも『そうですね』と答えたと思います。でもぼくは本番の舞台に立ちました」。

“逆境に強い男”だ。阪神球団から12億円のオファーを蹴った男は、ニューヨークのファンを熱狂させ、日本ハムに移籍すると、パ・リーグの救世主になった。監督1年目が最下位のどん底だから雪辱の舞台は整ったといえる。

本人と個室で2人になると、監督業の難しさも打ち明けられた。「まだ監督というものに慣れないですね」と語った彼は、自身の心臓部分をたたきながら「どうやったら選手に響く言葉を掛けることができるか、常に考えています」ともがいているという。

「キャプテンというの好きじゃないんです。でも中心になる選手には声を掛けていますよ。若いチームですが、選手にはダメだったらユニホームを脱ぐぐらいの気持ちで戦ってもらいます。でもダーッと乗っていくかもね」

いつも何かを起こしてきた男は、強運の持ち主だった。新庄がもっとも期待しているのは、ひょっとして「新庄」なのかもしれない。(敬称略)