日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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2月13日は、急逝した日刊スポーツ出身で、先輩の名物記者だった井坂善行の四十九日法要の日だった。

妻・多津子から「キャンプに気をつけて行ってきてくださいね」と激励を受けて恐縮する。

駆け出しの記者だった当時の取材は悲惨だった。近鉄バファローズの宮崎・日向キャンプは、井坂と名物カメラマンの村本勝と3人が一部屋で生活した。

南海・呉キャンプの宿泊先だった古びたラブホテルのほうが1人で寝るのはわびしいが緊張感はなかった。先輩たちに挟まれて“川”の字で寝た日向は“修業”のようだった。

現場記者として初めて裏1面を執筆することができた当日、井坂と村本でスリーショットを撮った。大切にしまってあった写真を手に感謝の意を告げながら多津子となつかしんだ。

取材のイロハを教わった井坂は22年12月28日、膵臓(すいぞう)がんで天に召された。67歳。PL学園(硬式野球部)、追手門学院大を経て入社し、プロ野球の現場を歩いた。

取材記者のキャンプの1日は長い。今では考えにくいが、「朝の体操」は選手の寝坊が活字になった。正義感旺盛だったからか、門限までチェックして球界をザワザワさせた。

井坂からは徒歩で小倉ヶ浜球場に入るヘッドコーチ中西太に食らいつくように指示された。先輩はビューッと車を飛ばす。こちらは連日の長距離ウオーキングで痩せた。

夜間練習の取材後は、反省会と称してネオン街に“集合”がかかる。ただ隣には首脳陣か選手、球団幹部がいてヘネシーの水割りを飲み交わした。取材する側とされる側が本音で語り合う夜は連日続いた。

井坂の背中が教えたのは内外で信頼関係を築く術だった。納得する原稿を書いたと思ってもダメだしされ、最近よくある取材先が得意とする選手、関係者に偏ると注意を受けた。

ストーブリーグ取材は「方向性を間違わないように」ときつく諭される。ダイエー中内功と側近に食い込めたのも、先輩記者からの的確なアドバイスのおかげだった。

37歳で退社後、和泉市議、市長といった政の世界に足を踏み入れる。安倍晋三元首相と絡んだ写真も残された。昨年、ファンだった高橋真梨子のコンサートに一緒にいく仲むつまじい夫婦で、幼なじみだった多津子はもらした。

「新聞記者より政治のほうが楽かなと思ったら大違いでした。ほとんど夜は付き合いで家にいませんでしたから…」

その後の井坂は、本紙に『猛虎知新』と題したコラムを執筆した。持ち上げ原稿だけではない。独自の視点でチームへの提言は急所を得た。

1985年(昭60)、吉田義男が率いたリーグ優勝、日本一の当時の虎番だった井坂は、岡田彰布の二塁コンバートを「日本一への序曲」と表現し、監督の信念とともに書きつづった。

とてもこの仕事は続かないと思ったキャンプ取材だったが、いつの間にか勝手に足が向く。現場記者にとってもシーズンを戦い抜く大切なキャンプが中盤を迎えた。(敬称略)