阪神が宿敵巨人を下して、18年ぶりのリーグ制覇を決めた。03年の9月15日を1日上回り球団史上最速V。9月は負けなしで破竹の11連勝で飾った。阪神は6度目リーグ制覇となった。

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それは左尺骨骨折から1週間後の記憶だ。梅野隆太郎はグレーのソファにうずめていた身を乗り出し、80インチの大画面に映し出された光景に目を細めた。

「誠志郎、勝って投手に向かう時の喜び方が今までと全然変わりましたよね。マサシと抱き合う姿を見て、気持ち分かるわ~って」

8月20日の敵地DeNA戦を自宅観戦していた。2点リードの9回裏2死一塁。あわや同点2ランというソトの大飛球が右飛に終わった直後、完封した伊藤将司と坂本誠志郎が歓喜する姿に胸が高鳴った。

「自分が頑張らなきゃ、という感情があふれ出ている。まるで自分の3、4年前を見ているようで…」

23年、梅野は不動の正捕手として開幕を迎えた。岡田彰布監督が就任早々から固定を明言。ただ、一個人としては順風満帆のスタートを切れなかった。打率は1割台前半。自慢の強肩もどこかおとなしい。実は右肩に強い痛みを抱えていた。

根っからの九州男児。出るからには言い訳などしないが、実はイニング間の投球返球中でさえ痛みが走っていた。痛み止めの薬を飲み、派生して痛めた首をバキバキと鳴らす日々。「あの時は正直、ボールを投げたくなかった」。そんな状況下で、徐々に注目を集めた捕手が2学年下の坂本だった。

後輩は村上頌樹、大竹耕太郎とのコンビで先発マスク時の連勝を9まで伸ばした。次第に先輩と後輩は先発マスク時の勝敗を比較されるようになった。「正直、面倒臭かった。誠志郎と自分はお互い切磋琢磨(せっさたくま)しているだけなのに、面白おかしくされて…」。それでも2人の関係は揺らがなかった。

梅野は8月13日ヤクルト戦で死球を受けて骨折し、今季中の戦列復帰が厳しくなった。「頼むな。頑張ってくれ」「はい。早く治してください」。京セラドーム大阪でそんな会話をする数時間前、2人はあらためて互いを認め合っていた。

3点リードの5回表2死二塁から山田哲人に2ランを浴びた直後、先発マスクの梅野が一塁ベンチに戻ると、坂本が声をかけた。

「あれ、真っすぐでしたか?」

「うん。真っすぐ」

「ですよね。僕でも真っすぐ行きます」

前方を走る梅野の背中を、坂本が追う。そんな関係をもう8年も続けてきた。後輩は3年連続ゴールデングラブ賞の先輩を尊敬し「近くで勝負できるのは幸せ」だと言う。先輩は後輩を「賢いのは分かっている」とたたえる。きっと2人にしか分からない絆がある。

梅野のもとには今も時々、配球を批判した内容の手紙が届くそうだ。「なぜあそこで内角直球?とか。捕手は根拠があっても打たれたら批判される。永遠に我慢なんです」。主戦捕手としての苦悩を知るから、重責を1人で背負うことになった後輩の胸中が気になって仕方がなかった。

「自分は今年、責任を背負いすぎてどうしたらいいのか分からない時が初めてあった。誠志郎も絶対しんどかったはずなので」

甲子園で悲願のアレ成就。2人はカクテル光線の中心で静かに抱き合った。【野球デスク=佐井陽介】