日本一になった。そして、ミスタータイガースになる-。

阪神佐藤輝明内野手(24)が、どん底を乗り越え、38年ぶり日本一の歓喜の輪に加わった。今季は左打者では史上初となる新人から3年連続20本塁打をクリアした一方、2軍落ちも経験し、日本シリーズ第4戦では3三振&失策で途中交代も味わった。日刊スポーツに独占手記を寄せ、頂点までの道のりの胸中と、不動の存在となるための覚悟を語り尽くした。

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みんなのおかげで日本一になることができました。地元の西宮で生まれ育って、阪神で最高の瞬間を迎えることができました。チームメート、家族、友人、ファンの方々、全ての人に感謝したいです。

あの時の悔しさは覚えています。6月に2軍に落ちた時、正直に言うと「なんでやねん」と思いました。結果の世界なんで、しょうがないと思う半面、打ってたりもしていた時期だったので。ナイターのDeNA戦の後、横浜のホテルで(ヘッドコーチの)平田さんから伝えられて、荷物をまとめました。

名古屋へ行く新幹線で同期の栄枝に連絡しました。「2軍行くわ」って。今思えば、その時には切り替えられていたのかな。2軍でプレーしている時は「なんでやねん」って思いは、もうなくて。結果を出して、また上でしっかり打てるようにということを考えて取り組んでいました。

日本シリーズでは仲間に助けてもらいました。第4戦でエラーをしてしまって、打撃でも3三振で途中交代。大山さんのサヨナラ打に救われました。大山さんは、背中で引っ張ってくれる先輩。練習に取り組む姿勢から勝負強いところまで、見習うところしかありません。

実は今年の開幕前、大山さんや僕には、岡田監督から「中軸はバントなんかせんでええよ」とコーチ陣を通して伝えられていました。去年までは「バッティング練習ではバントもやっとけよ」と言われていましたが、今年はキャンプが終わってから、練習でも一切バント練習をしていません。 そのおかげで「打つことが仕事」という自分に求められている役割が、より一層明確になったと思います。ちょっとしたことですけど、そんな部分に岡田監督の思いを感じてきました。

シーズン序盤は結果が出せなくて、出口が見えない感じが続いていました。試行錯誤していくうちに、手だけを早めに始動させて、ゆっくりと動かすタイミングの取り方がハマったんです。バットのヘッドの重みを感じて、ゆらゆらさせるイメージ。そうすることでバッティングフォームの“割れ”を出すことができるようになって、強いスイングができるようになりました。来年は1年通して、今年の後半戦のような成績を残したいと思っています。

阪神のドラフト1位は大変…とよく言われますけど、僕はあんまり、そう思わないんですよね。チームメートにボロカス言われるならめちゃくちゃキツいですけどね(笑い)。ちょっとたたかれたからって気にしていたら、メンタルもたないでしょ。まあ、別に元から気にするタイプじゃないので、全然大丈夫。何を言われようが、応援の声は、僕に届いているので。

「タイガースといえば佐藤輝明」と言ってもらえるような選手になるのが目標です。大山さんや近本さんたち先輩方は、やっぱりすごい。僕はまだまだ。これからも上を目指して野球に打ち込みます。(阪神タイガース内野手)

 

◆佐藤輝明(さとう・てるあき)1999年(平11)3月13日生まれ、兵庫・西宮市出身。甲東小1年から甲東ブルーサンダースで軟式野球を始め、6年ではタイガースジュニアに参加。甲陵中では軟式野球部。仁川学院では通算20本塁打で甲子園出場はなし。近大を経て、20年ドラフトで巨人とソフトバンク、オリックスと4球団競合の末、阪神から1位指名を受け入団。左打者では史上初となる新人から3年連続20本塁打をマーク。今季は打率2割6分3厘、24本塁打、自己最多の92打点。187センチ、93キロ。右投げ左打ち。

○…佐藤輝は今季初めて7番に入り、4打数無安打だった。3三振を喫し、今シリーズ12三振で球団最多記録となった。白星発進の第1戦は二盗を絡めて先制点を呼んだが、第4戦では3三振に失策もあって途中交代。その第4戦から6番、第7戦は7番と打順を1つずつ下げた。打率は1割4分8厘。「最後に胴上げできてよかった。最高です。声援が日に日に大きくなって、声も戦力だなと。来年以降も頑張りたい」。喜びと悔しさを味わったシリーズの経験を来季につなげる。

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