巨人は26日、阿部慎之助監督(47)が辞任することを発表した。シーズン途中での監督退任は球団史上初めて。橋上秀樹コーチ(60)が同日のソフトバンク戦(東京ドーム)から監督代行を務める。巨人でのプレー経験のない監督は球団史上初となる。
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橋上秀樹監督代行の礎は、故野村克也監督の下で、ヘッドコーチを務めた楽天時代に培われた。ヤクルトでの現役時代には、野村監督のミーティングで薫陶を受けた。野村理論を胸に、頭に刻み込み、3年間毎試合、ベンチで知将の隣で野球を学んだ。
楽天は野村監督と同じ年に退団。その際「監督から『免許皆伝』と言っていただいたのが、うれしかった。『野村本を書いていいぞ』と言ってもらったんだ」と話していた。野村監督のまな弟子を公認されたと同義だった。その後、野村監督と触れ合った野球の本を出版し、野村監督の功績の広報役を買ってでていた。
巨人には12年、戦略コーチとして入団した。その年の交流戦で、巨人は初の交流戦チャンピオンになった。初優勝の陰に「野村の考え」が潜んでいた。
野村監督の代名詞ともいえる方針に「見逃し三振OK」がある。見逃し三振を容認することは、ヤマが張れて、データを重視する土壌につながるメリットがある。巨人には「見逃し三振は恥ずかしい」という美学があったが、ベンチがリスクを背負って攻略法を提示することで、打者の迷いは軽減される。橋上コーチは、見逃し三振OKの文化を巨人に浸透させたいと腐心していた。
もちろん、方針を採用したのは当時の原監督で、同コーチだけの功績ではないかもしれない。ただ、同コーチの働きかけがあったと、当時の担当記者として感じていた。一つの容認が大胆なスイングを後押しし、12年は交流戦に加え、日本シリーズまで制した。
今季もベンチ前の円陣で、野手にデータを伝える姿を見る。まさかの監督代行となったが、野手の負担を減らすベンチワークで、チームを上昇させてほしい。【金子航】



