ロッテ小宮山悟投手(44)が今季限りでの現役引退を決意したことが19日、明らかになった。小宮山に近い関係者によると、04年にバレンタイン監督の強い要望でロッテに復帰した経緯があることから、今季限りで退任する同監督とともに自らも身を引く決意を固めた。今後は未定だが、プロアマ問わず球界の発展に尽くしたい考えを持っているという。ロッテ、横浜、大リーグのメッツ、浪人を経て再びロッテに戻った波瀾(はらん)万丈の野球人生についに終止符を打つ。

 「投げる精密機械」といわれ、長年ロッテを引っ張ってきた背番号「14」がついにユニホームを脱ぐ時がきた。今季1軍では1勝0敗。5月16日に約3年ぶりに1軍登録抹消された時は防御率が10・13まで膨らんだ。その試合後「投げろと言われれば投げるけど、結果が目に見える状況なのでしょうがない」と、もどかしい胸の内を吐露していた。その後2軍で11試合に登板したものの、1軍に上がることはなかった。

 バレンタイン監督とのきずなが、パ・リーグ最年長右腕を支えていた。メッツを戦力外となり事実上の「引退」に追い込まれた03年に、あくまで現役続行にこだわり1人で練習を続けていた時、「力を貸してくれないか」と声をかけてくれたのがバレンタイン監督だった。1年間の浪人生活を経て異例の復帰を果たした。

 恩人であり師でもある同監督が今季限りで退団することが、決断に至らせた。小宮山に近い関係者によると「バレンタイン監督が球団から必要とされずにチームを去るのであれば、監督の力になれなかった小宮山本人も身を引く、というのが理由のようだ」と話した。チームは2年連続クライマックスシリーズ(CS)進出が絶望的な状況で、監督が期待した中継ぎの役割をまっとうできなかった責任も感じていた。

 20年間の現役生活に別れを告げる。2浪して早大野球部に入部し、エースとして20勝をマーク。89年ドラフト1位でロッテ入りするとトレードマークのサングラスと、顔の前にグラブを持ってくる独特のノーワインドアップ投法で人気を博した。93年には開幕戦から6試合連続完投勝利というプロ野球記録を樹立。当時のチームメートだった牛島から投球術を学び、打者との駆け引きを習得して97年には最優秀防御率賞も獲得した。

 通算117勝を挙げてロッテの一時代を築いた男は、その言動も注目された。03年から05年まで早大人間科学部の科目履修生として、学生と二足のわらじをはいた。06年には早大スポーツ科学部大学院学術部に進み、投球フォームに関するバイオメカニクスを専攻。07年に修士課程を修了した幅広い知識は、ロッテでも数字では測れない影響力を与えた。

 今後については未定だという。浪人時代に評論活動を通じて養った分析力や視野の広さに加え、日米球界にも精通している。さらに数学の教員免許も取得していることから、プロだけでなく早大を含むアマ監督にも支障はない。関係者によると「プロアマ問わず野球界発展に尽くしたいという意向を持っているようだ」と話した。これまで培った野球哲学を第2の野球人生でも発揮するに違いない。

 [2009年9月20日8時26分

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