中日が4年ぶり8度目のセ・リーグ優勝を果たした。7月には最大で8ゲーム差をつけられたが、圧倒的な投手力で夏場から逆襲し、9月10日に首位浮上。試合のなかった1日、阪神が広島に敗れ、球史に残るデッドヒートを制した。落合博満監督(56)は就任7年目で3度目のペナント制覇。3年ぶりの日本一を目指し、20日にナゴヤドームで開幕するクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ(6試合制)で、16日からセ2位と3位が対戦するファーストステージの勝者と日本シリーズ進出を懸けて戦う。

 落合監督がすべてを解放した。「この日のために1年間、禁酒してきました。きょうは思う存分、飲みたいと思います!」。祝勝会の冒頭、はしゃいだ顔でそう宣言すると頭からビールを浴びた。胴上げは2日の最終戦へ持ち越しとなったが、戦いが激しかった分、喜びは膨らんだ。優勝と引き換えに、元旦から口にしなかった酒が激闘を終えた体に染み渡った。

 球史に残る阪神、巨人との激戦は、阪神が広島に敗れて決着がついた。就任7年目で3度目の優勝は、7月の最大8ゲーム差をはね返しての逆転。優勝が決まって20分後にナゴヤドームに到着した落合監督は「3年間も優勝から遠ざかっていた。途中からは勝ち続けなきゃいけなかったが、勝てたのは7年間、積み上げてきた練習量の差だろう。今年のような暑い中、必ず他球団はへばると思った」と淡々と心境を口にした。

 だが、その裏では苦悩があった。08年、第2回WBCへの選手派遣問題では“非国民”扱いされるなど、チームを強くしながら指揮官は球界の“悪役”となった。3年連続で優勝を逃した昨季オフには、あんこをつまみに日本酒をあおっていた大の甘党は、酒の勢いも借りて家族に向けて、こう言った。「オレのやってきたことはオレが死んだ後、世間に認められるだろう。そういうもんだ。だから、今は周りに何を言われても胸を張っていてくれればいい」。あまりの言葉に食卓は静まり返った。

 V奪回の道は想像以上に険しかった。荒木、井端の二遊間コンバートは早々に崩壊し、守備陣はリーグ最多失策を独走。開幕前に掲げた「守り勝つ野球」は崩れ去った。理想とほど遠い戦いにいらだちを隠せなかった。ある試合後には、勝ったにもかかわらず内容への不満からベンチ裏の机をひっくり返した。静まり返った廊下に激しい音だけが響き渡った。

 8月の横浜戦前にはミーティングで「オレは負けたら悔しくて眠れない。毎晩、睡眠薬を飲んでも眠れないほど悩んでいる。お前たちはどうなんだ!」と言い放った。これまでは弱みを見せず、内部批判を控えてきた指揮官が一転して選手をなじった。チーム内には反発の空気も流れた。グラウンドでの表情は淡々としていたが、決して計算通りに進んだわけではない。

 ただ、ぼろぼろになっても貫いたのは野球職人としての姿勢だった。「オレが20歳に戻れたら野球はやらないだろうな。映画でも観て、ぼっーと暮らすよ。王さんも、野村さんも、すごいよな。この仕事をあれだけ長くやった。消耗もするだろうし…。でもな。あの瞬間だけはすべて消えるんだよ。だから、やっているんだろうな」。“あの瞬間”とは優勝のこと。監督業のつらさを愚痴っても、絶対に優勝はあきらめなかった。全幅の信頼を置く森ヘッドコーチが束ねる強力投手陣を武器に夏場から逆襲し、逆転した。

 タイムスリップしてもバットを握り、采配を振るだろう。生まれついての野球職人。だからこそ、どんな苦境でも野球と向き合い、考え抜いた。屈辱の3年間も、苦悩の日々も、優勝という結果が喜びに変えてくれた。【鈴木忠平】

 [2010年10月2日9時0分

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