ソフトバンクのドラフト1位の加治屋蓮投手(22=JR九州)は「心眼投法」だった!?

 新人合同自主トレ2日目の10日、約40メートルのキャッチボールでリリースの瞬間に目をつぶる独特の投球を披露した。本人に自覚はなく、今までリリースの決定的瞬間が紙媒体で掲載されなかった謎も解消した。実は目標とする斉藤和巳氏も同じ傾向があり、タカのエース候補には吉兆?

 のクセだ。

 加治屋本人も周りも意外な事実に驚いた。西戸崎合宿所でのキャッチボールでのこと。まずはカメラマンたちが「アレ?

 アレ?」とざわついた。連写した画像をデジタルカメラ本体のモニターで確認すると、リリースの瞬間の「使える写真」がほぼ撮れない。体を捻転して絞りだしたパワーが指先から球に伝わる、投手の代表的な“決めポーズ”でまぶたをぴっちりと閉じていたのだ。

 伝え聞いた加治屋は「えっ、そうなんですか」と驚き「だからだったんですね」と1人合点がいった。

 「新聞や雑誌で、自分はリリースの瞬間の写真が載らなくて、ずっとなぜかと思っていたんです。それはカメラマンも使わないですよね」

 ドラフト候補として注目されながら感じていた疑問が晴れた瞬間だった。もちろん「無意識ですよ。自分では普通に投げています」と言うが、昨年引退したソフトバンクの元エース斉藤和巳氏も同じ傾向があったと聞くと、表情をパッと明るくした。サイン色紙を寮の部屋に持ち込むほど尊敬する人物。偶然でも共通項がうれしかった。

 同じく昨年引退した石井一久氏(西武)もカメラマン泣かせで知られたが、完成されたフォームから捕手のミットに向かう精度は狂わなかった。阪神安藤がキャンプ視察に訪れた広岡達朗氏(野球評論家)から目をつぶって投げる「心眼投法」の助言を受け、フォームを安定させた事例もある。目を閉じるのが一瞬なら、ハンディは少ない。

 期待の即戦力右腕は昨秋の右足甲骨折から回復途中で、練習の大半を室内での別メニュー。加藤投手コーチは「夏ごろに出てきてもらえれば」と話し、リハビリから体づくりへと道は長い。「地味なメニューですがきつい」。患部に負担の少ないキャッチボールは1球ずつ愛しむように投げていた。

 寮では宮崎・福島高1年秋から6年間欠かしたことのない風呂上がり40分間のストレッチが日課。「けが予防で始めたのにけがしてしまったのですが、せっかく続けてきたので」。1位ながら100%のパフォーマンスができない現実と向き合い、その先にある1軍マウンドを見据えてコツコツと歩んでいる。最後に「明日は目を開けるのを意識して投げてみます」と、笑って「開眼投法」を予告。どちらにしても、周囲から注目される逸材に違いはない。【押谷謙爾】

 ◆加治屋蓮(かじや・れん)1991年(平3)11月25日、宮崎・串間市生まれ。大束小3年から軟式野球を始め、大束中では三塁手。福島で本格的に投手を始めた。2年秋からエース。2年夏、3年夏は県2回戦で敗退。10年にJR九州に入社。趣味はドラマ、音楽鑑賞。ジュースは100%果汁を好むなど健康意識が高い。高校時代のニックネームは顔が似ているため「オバマ」。家族は父と弟。遠投100メートル。背筋力250キロ。持ち球は最速152キロの直球とカーブ、スライダー、フォーク。契約金9000万円、推定年俸1500万円で入団し、背番号は14。183センチ、81キロ。右投げ右打ち。

 ◆斉藤和巳のエース道

 南京都(現京都広学館)から95年ドラフト1位でダイエーに入団した。03年に16連勝など20勝3敗、主要タイトルを独占して沢村賞も受賞。05年は日本タイ記録(当時)となる開幕15連勝をマークして16勝1敗。06年は18勝5敗で2度目の最多勝と沢村賞に輝いた。

 快速球と高速フォークを武器に闘志を押し出すスタイルで打者を圧倒。負けない投手として、西武松坂らとのエース対決をことごとく制した。

 その後は右肩を2度手術し、07年を最後に登板機会がなくリハビリ。10年限りで支配下登録を外れ、11年からリハビリ担当コーチとして現役復帰を目指した。目標かなわず昨年7月31日付で退団。リハビリ中は若手の見本となっていた。