<WBC:日本1-3プエルトリコ>◇17日(日本時間18日)◇準決勝◇米サンフランシスコAT&Tパーク

 その名のごとく世界の舞台で羽ばたいた。侍ジャパン野手最年少の中田翔外野手(23)は、準決勝も7番左翼でスタメン出場した。メンバー入りの当落ラインから合宿をスタート。打撃フォームを模索しながら結果を出し、最後は不動のレギュラーとなった。貴重な経験をした右打ちのスラッガーが次代の中軸を担う。

 左足をスッと上げて、けれん味のないフルスイングを続けた。中田は大舞台で堂々と、1本足打法を貫いた。直近の2試合で連続猛打賞をマークした。絶好調で乗り込んだサンフランシスコでは無安打に終わった。「素直に、本当に悔しいです。ここまでやってきて、できれば決勝、やりたかった。悔しいです」との言葉には、ジャパンのスタメンを張る自覚があった。

 実力で奪い取った。3日の1次ラウンド中国戦から「7番左翼」に定着。8日の台湾戦では、延長10回に決勝の犠飛を放ち、チームの窮地を救った。立浪打撃コーチにはすり足打法を勧められた。懸命に取り組んだが「持ち味である長打がなくなる」と直訴して、1本足打法に戻した。「結果が出なければすり足に戻す」と約束した。飛距離と確実性を両立させ、結果を出して納得させた。「先輩方にいろんなことを教えてもらった。チームワークの大切さであったり、技術的なことであったり。この経験を次に生かしたい」と素直だった。

 野球に没頭した。代表の宮崎合宿初日には、長野のバットを拝借した。感触が良いと感じるや、即日電話で発注した。毎日打ち込んだが使いこなせず、先輩の相棒を見つめながら「むっちゃ、悔しいんです。こんなにいいバットなのに、使いこなせない。自分に腹が立つんです」と叫んだ。ロッカー室は静まり返り、真摯(しんし)な姿勢を先輩たちは認めていった。

 23歳は、がむしゃらだった分だけ成長した。侍ジャパンを「楽しかったです。すごく自信になりました。日の丸を背負えて、本当にうれしかったです」と締めくくった。代表の重さ、かけがえのなさを知った。次は自分が中心となる番だ。【宮下敬至】