12日初日を迎える大相撲春場所(エディオンアリーナ大阪)で新十両の落合(19=宮城野)は、所要1場所という昭和以降初となる快挙で関取昇進を果たした令和の怪物だ。その大器が初土俵を踏むおよそ17年前、同じ幕下15枚目格でデビューして7戦全勝優勝した男がいた。元幕下・下田の下田圭将さん(39)を訪ねて話を聞いた第2回は、「2人の共通点と明暗の分かれた結果」。【取材・構成=平山連】

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師匠の宮城野親方と新十両会見に臨んだ落合の記事を眺める、元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)
師匠の宮城野親方と新十両会見に臨んだ落合の記事を眺める、元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●対戦相手を徹底的に研究を欠かさなかった下田さんと落合の共通点。

共に幕下15枚目格付け出しでデビューした場所を7戦全勝優勝した下田さんと落合。そんな2人には好成績につながった共通点があった。それは対戦相手の研究を徹底したことだ。

場所中に落合は「対戦相手が発表された時に、研究して動きをしっかり見ていた」(4日目瀬戸の海戦)「どういう形になっても自分が勝つイメージでシミュレーションしてきた」(6日目の明瀬山戦)などと語り、土俵に上がる前から目の前の相手に惜しみない準備をしてきたことを常々言っていた。こういった言葉の数々に、17年前の06年夏場所で無傷の7連勝を飾った下田さんが重なる。

下田さん 「付け出し資格を得てから私は大相撲中継を録画して、幕下上位にいる力士たちを追っていたんです。彼らはおそらくアマチュアの相撲を見てない。なので私の癖や相撲を知らないと思って、逆にこっちが研究しよう。万全の準備をすれば、勝つ確率が高まると思ったんです」

●学生時代から研究の虫

「デビュー場所は相手が決まると、その映像を集中的に見返しました」

学生時代から、研究の虫。ライバルたちに勝つためと思って、稽古場を離れても相撲のことを考える日々は苦ではなかった。

下田さん 「アマチュアの上位にいくと、強い相手と絶対当たるんです。そうなった時に備えて、相手の癖を研究していました。例えば相手が下がるときには右上手を取りにくるとか、逆に前に出てきたときにははたきがあるとか。必ず相手の癖をインプットして臨む。研究通りに攻めてこなくても、自然と体が反応してくれるんです。(デビュー場所は)実際に対戦相手が決まると、その相手の映像を集中的に見返しました。自分が納得するまで研究して挑んだら、それがばっちりとハマったんです」

06年大相撲夏場所13日目 宮本を押し出しで破り全勝で幕下優勝を決めた下田(2006年5月19日)
06年大相撲夏場所13日目 宮本を押し出しで破り全勝で幕下優勝を決めた下田(2006年5月19日)

●7戦全勝優勝に「やれることをやり切れば、プロでも全然通用する」

七番相撲で宮本を下して7戦全勝しても、下田さんにとっては決して驚く結果ではなかった。元関取などの実力者や勢いのある若手がひしめく幕下上位を相手にも、実力差を感じることはなかった。むしろ「自分の中でやれることをやり切れば、プロでも全然通用する」と大きな自信を得た。

優勝後の帰り道。会場の両国国技館から両国駅までファンに囲まれ、まるでもう関取昇進が決まったかのような歓待ぶりだった。激励や写真攻めに気持ちが高揚した。「お客さんに囲まれたのはあれが最後でしたね」と懐かしむ。

関取昇進を想定し、故郷の長崎・島原では化粧まわしの用意も着々と進んでいたという。

下田さん 「地元もめちゃくちゃ盛り上がっていました。化粧まわしの絵柄も決まって、あとは発注するだけでした。後援会はまだできていませんでしたが、熱心に応援してくれてくれる方が『締め込みの色は何がいい』とか聞いてくれて、すごく準備してくれてました」

前のめりな関係者をよそに、場所後の番付編成会議では十両が見送られた。日本相撲協会には「幕下15枚目以内の全勝力士は十両昇進の対象とする。ただし番付編成の都合による」との内規があるが、当時の審判部は幕下の東西筆頭の勝ち越し力士2人(東で5勝の上林、西で4勝の龍皇)を優先した。

元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)
元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●十両陥落者があと1人いれば…。「次の場所へ気持ち切り替えた」

幕下15枚目以内の7戦全勝力士はそれまで例外なく十両に昇進していたが、同場所は十両から幕下への転落者が少なかった。もしも十両からの陥落者が2人ではなく、あと1人いれば…。下田の悲運は起きてなかっただろう。

下田さん 「当時ある解説者の方が『15枚目格で全勝優勝したら(十両に)上げるという規定があるなら、上げないと駄目でしょ』というような言い方をしていました。それが今でも記憶に残ってます。兄弟子たちが『下田、十両昇進ならず』というネットニュースを見つけて、十両に上がれないんだと知りましたが気落ちすることはなかったです。今回みたいに自分の実力を出せばいけるから、次の場所で上がればいいという気持ちに切り替わっていました」

結果として約10年間にわたって角界にいながら、下田さんは十両昇進をつかむことはなかった。くしくも、デビュー場所が最もその夢に近づいた瞬間だった。(第3回へ続く)【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

所要1場所での十両昇進見送られた悲運の元力士、“令和の怪物”新十両の落合の活躍で再脚光(1)

悲運の力士・元幕下の下田さん、やり切れなかった現役生活と落合への期待(3)

◆落合哲也(おちあい・てつや)2003年(平15)8月22日、鳥取・倉吉市生まれ。小学生の時にサッカーに打ち込み、ポジションはFWとGK。父勝也さんに勧められ、鳥取・成徳小学4年から相撲一本に絞る。鳥取城北高2、3年時に高校横綱。高校卒業後、肩の治療のために角界入りを遅らせ、22年9月に全日本実業団選手権を制し、幕下15枚目格付け出しの資格を得た。181センチ、153キロ。得意は突き、押し、左四つ、寄り。

◆下田圭将(しもだ・けいしょう)1984年(昭59)1月28日、長崎県島原市出身。島原市立第三小4年から相撲を始め、同市立第二中-諫早農高-日大と進み、日大では05年国体成年Aを制するなど16冠を獲得して学生横綱にもなった。幕下15枚目格付け出しで初土俵を踏んだ06年夏場所は7戦全勝優勝。当時史上初の1場所での十両昇進が確実視されたが、幕下筆頭で勝ち越した力士が優先されて見送られた。その後は度重なるけがに泣き、16年3月の春場所で引退。最高位は西幕下筆頭(06年名古屋場所)。