悲運の元力士が、“令和の怪物”の活躍で再び脚光を浴びている。12日初日を迎える春場所(エディオンアリーナ大阪)で新十両の落合(19=宮城野)と同じく、2006年5月の夏場所で幕下15枚目格付け出しとして7戦全勝優勝した元幕下・下田の下田圭将さん(39)。下田さんは番付運に恵まれず十両昇進はかなわなかった。あれから17年。下田さんを訪ね、当時のことや落合のことについて聞いた。【取材・構成=平山連】

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元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)
元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●「こうして取材が来るのを待っていました」

待ち合わせ場所に現れた下田さんは、うれしそうに笑みを浮かべながら静かにそう言った。

現在は都内の職場で勤務している。スーツの上からも分かるほどの筋肉質な体つきが目を引く。16年春場所を最後に現役を退いたが、引退してからもトレーニングを欠かしていないことがうかがえた。

柔道選手にありがちな“ギョーザ耳”から学生時代に武道に打ち込んでいたと言われることはあっても、力士として本土俵で活躍した姿を知る人は多くない。まして、幕下15枚目格付け出しとして臨んだデビュー場所で、7戦全勝優勝を果たしたことを知る人は皆無だった。ただし、落合が登場するまでは。

師匠の宮城野親方と新十両会見に臨んだ落合の記事を眺める、元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)
師匠の宮城野親方と新十両会見に臨んだ落合の記事を眺める、元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●初場所で白星積み重ねる落合に、下田さん「19歳で付け出し資格を取ったのはすごいです」

今年1月の初場所。19歳の大器が白星を積み重ねるにつれて、下田さんの名が改めて注目された。

幕下15枚目格付け出しでの優勝となれば、2006年5月の夏場所の同氏に次ぐ快挙だったからだ。落合の活躍をどんな思いで見守っていたのか。

下田さん 「私は日大出身です。(落合の母校の)鳥取城北からも日大に進学する人がいますから気になって見ていました」

ともに幕下15枚目格付け出しを得て角界入り。落合は19歳の若さでそれをつかんだ。

下田さん 「19歳で幕下付け出し資格を得たのはすごいですよね。私が付け出し資格を取ったのは、大学4年生。国体とインカレを優勝した22歳ですから。“令和の怪物”と言われている通りですよね」

06年大相撲夏場所2日目 幕下付け出しの下田(手前)は古市を押し出しで下し、デビュー戦を飾った=06年5月8日
06年大相撲夏場所2日目 幕下付け出しの下田(手前)は古市を押し出しで下し、デビュー戦を飾った=06年5月8日

●デビュー戦の不戦勝「その場の雰囲気を味わえたのは良かった」

落合の初土俵は対戦相手の王輝(錣山)が休場し、デビュー戦がよもやの不戦勝となった。これが破竹の7連勝につながったと、実体験を交えながら下田さんは説明した。

「(落合は)相撲は取らなかったけど、土俵の上に上がって勝ち名乗りを受けた。その場の雰囲気を味わえたことは、彼にとってものすごく貴重な体験だったと思います」。そう分析した上で、自分のデビュー戦を振り返りながら続けた。

下田さん 「相手は古市さんという元十両で、自分よりも小さい方でした。プロとして初めて土俵に上がり、めちゃくちゃ緊張していました。それが一気に解けたのは、立ち合いで古市さんが勝ち気に突っかけてくると分かった時でした。どうしようか一瞬迷いましたが、自分からいかないとやられる-。そう思って、前に出たら勝ったんです。思えばデビュー場所で迷ったのはこの時だけでしたね」

下田さんと落合。2人を取材した記者は、デビュー場所でのある共通点に気がついた。(第2回へ続く)【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

幕下15枚目格で全勝Vも十両逃した悲運の力士に聞く 落合との共通点と明暗分かれた結果(2)

悲運の力士・元幕下の下田さん、やり切れなかった現役生活と落合への期待(3)

◆落合哲也(おちあい・てつや)2003年(平15)8月22日、鳥取・倉吉市生まれ。小学生の時にサッカーに打ち込み、ポジションはFWとGK。父勝也さんに勧められ、鳥取・成徳小学4年から相撲一本に絞る。鳥取城北高2、3年時に高校横綱。高校卒業後、肩の治療のために角界入りを遅らせ、22年9月に全日本実業団選手権を制し、幕下15枚目格付け出しの資格を得た。181センチ、153キロ。得意は突き、押し、左四つ、寄り。

◆下田圭将(しもだ・けいしょう)1984年(昭59)1月28日、長崎県島原市出身。島原市立第三小4年から相撲を始め、同市立第二中-諫早農高-日大と進み、日大では05年国体成年Aを制するなど16冠を獲得して学生横綱にもなった。幕下15枚目格付け出しで初土俵を踏んだ06年夏場所は7戦全勝優勝。当時史上初の1場所での十両昇進が確実視されたが、幕下筆頭で勝ち越した力士が優先されて見送られた。その後は度重なるけがに泣き、16年3月の春場所で引退。最高位は西幕下筆頭(06年名古屋場所)。