アントニオ猪木(74)の生前葬が21日、行われた。猪木は、人間の死をテーマに歌った秋川雅史の大ヒット曲「千の風になって」の替え歌を歌い、ジョークを飛ばすなどして会場を沸かせつつも、格闘技界にニューヒーローが誕生することと、世界平和を切に訴えた。

 リングの中央には真っ白な棺おけが置かれ、かつて付き人を務めた藤波辰爾(63)、藤原喜明(68)、リングで抗争を繰り広げたスタン・ハンセン氏(68)が“弔辞”を読むためにリングインした。そして追悼のテンカウントゴングが打ち鳴らされた。

 その後、猪木自身がアカペラで歌う「千の風になって」が場内に流れた。

 <歌詞>私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません

 「死んでなんかいません」と一部、歌詞をアレンジした替え歌に場内から笑いが起きる中、猪木は白装束にトレードマークの真っ赤なタオルを首に巻いて入場。途中で白装束を脱ぎ捨てると、スーツ姿になって両拳を突き上げた。リングインすると「生前葬? 俺も何だか分からない」と言いつつ、棺おけのふたにナックルパートをぶちかまし、棺おけの中から白い球を持ち上げると、頭上に突き上げた。白から真っ赤に色が変わった球は、猪木の魂を意味していたようで、猪木は「今、魂が空を飛んで異空間にいった」と言い、笑った。

 9月14日に開いた会見では、1999年(平11)1月31日に亡くなった、ジャイアント馬場さん(享年61)の挑戦状を受ける意義が、生前葬にあると強調。「ある日『挑戦状を受ける…さんずの川で待っている』と。さんずの川まで行くには、ちょっと早いな。そろそろ迎えに来てもいいかな」などと語った。

 ただ、この日は、友人から10数年前に生前葬をやらないかと誘われたことが、生前葬に関心を持ったきっかけだったと明かした。

 猪木 友人が10何年前に「お前、一緒に生前葬をやろう」と言われたことがある。その間(この日までの間に)仲間が旅立っていきました。ふと考えたら、俺も送り人じゃなく、そろそろ送られる人になりそうだな…そんなことを思いました。驚かせるのが大好きな者ですから(生前葬を開いた)

 猪木はスピーチの最後に「俺も金もないし…どうでしょう? これから1年、全国を生前葬ツアーというのは?」とジョークを言い、会場を笑わせた。その上で“惜別のメッセージ”とも取れる発言をした。

 猪木 本当に昔は私が1人で日本中、どこでも札止めになったんですが…格闘技界に何とかね、スターが生まれて…。そして、もう1つは世界平和。インド、パキスタン…各国から大使が来ている。いろいろ来たい人がいたんですが、こういう時期ですし(来られなかった)。何とか日本が、もっと平和になれば。

 そして猪木は、1人の少年をリングに上げた。1976年(昭51)12月12日にパキスタンで対戦した際、左腕をアームロックで脱臼させて勝った格闘技の英雄アクラム・ペールワンのおいで、1979年6月17日に対戦し引き分けたジュペール・ペールワンのおいで、14年に来日したハルーン・アビッドだった。猪木は「私が昔、パキスタンで戦った選手のおいっ子ハルーンが日本でレスリングを頑張っている。いい遺伝子を次の選手が継いでもらいたい」とエールを送った。その上で「葬式とか何だとか、俺には似合わない。例の1・2・3…ダーッ…で。でも、今日の本当の狙いは生前葬だ」と言い、ハルーンと一緒に「1・2・3…ダーッ!!」を決めた。

 ハルーンがリングから降りた後、サンバ隊がリングサイドで踊り始めた。猪木は1回では足りなかったのか、「世界が平和になりますように。今日は嵐がきます。(中略)若い人がこれから、どう生きるか、我々がますます元気で、世の中のために何が出来るか…そんなことを思いながら、いよいよ気合が入ったところで、行くぞー!!1・2・3…ダーッ!!」と絶叫し、リングを後にした。【村上幸将】