力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤーさん(本名リチャード・ベイヤー)が7日(日本時間8日)、米ニューヨーク州北部バファロー郊外の自宅で死去した。88歳だった。

元プロレスラーの長男カート・ベイヤー氏(58)がフェイスブックで亡くなったことを報告した。死因は不明。キャリア約40年、日米で8000試合以上を戦い、お茶の間の人気者でもあったマスクマンの草分け的存在が、この世を去った。

「白覆面の魔王」は家族に寄り添われ、天国へと旅立った。デストロイヤーさんの長男カート氏のフェイスブックによると、米ニューヨーク州の自宅で子どもたちや、妻に見守られながら永眠した。同氏は「デストロイヤーであり、ドクターXであり、ディック・ベイヤーであり、コーチである父が今日正午すぎに亡くなりました。自宅のベッドで子どもたち、妻に囲まれて安らかに眠りました」などとつづった。ここ数週間、体調が悪化し、医療処置を受けていたという。

1954年に素顔でプロレスデビュー。62年、白地に赤の縁取りを付けたマスクを装着し、覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」に変身し大ブレーク。同年に「吸血鬼」ブラッシーを下し、WWA世界ヘビー級王座を初戴冠した。63年に日本プロレスに初来日し、同年5月24日に力道山と同級王座戦で激突。代名詞で、のちに子どもたちが競うようにまねた「足4の字固め」の攻防で白熱した展開となり、テレビ中継の平均視聴率は64%をマークした。これは今なお日本のテレビの歴史上4位の高視聴率、プロレスでは同最高。空前のプロレスブームを巻き起こした。当時、外国人レスラーは悪役が多かったが、次第にファンの心をつかみ善玉に転じ、歓声を浴びた。ジャイアント馬場のライバルとなり、アントニオ猪木とも好勝負を繰り広げた。それまで脇役的だった覆面レスラーの立ち位置も変えた。

73~79年には全日本プロレスの所属選手として活動し、ブッチャーやマスカラスと名勝負を展開。馬場やジャンボ鶴田とタッグを組み、人気を博した。日本テレビのバラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」にも出演。せんだみつお、和田アキ子、徳光和夫アナウンサーとの掛け合いでお茶の間の人気者にもなった。

93年の現役引退後も日米の懸け橋となった。体育教師になり、日米レスリング選手の育成にも尽力。東日本大震災後も被災地に寄り添い、積極的に支援活動を行った。17年秋の叙勲で旭日双光章を受章。18年2月の米国での記念式典にも白い覆面で臨んだ。覆面の奥から見える優しい青い目がトレードマークだったデストロイヤーさんは、これからもファンの胸の中で生き続けることになる。