「ミスタープロレス」「ミスターNWA」と呼ばれたハーリー・レイスさんが1日(日本時間2日)、肺がんによる合併症のために死去した。76歳だった。

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プロレス界に大きな影響を与えた1人となるレイスさんは「日本で大きなものを学んだ」が口癖だった。

68年2月に日本プロレスで初来日した時が初の海外試合。予備知識なしで足を踏み入れたこともあり、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の「BI砲」に衝撃を受けたそうだ。スケールの大きい馬場、レスリング技術が高い猪木に翻弄(ほんろう)され「本当に成長させてもらった。海外で試合したが、日本は特別で思い出深い。あれが分岐点」と振り返っていた。馬場とNWAヘビー級王座を懸けて対戦した際は「1つの夢が実現した」と感慨深く話していた。

60~70年当時は危険な技だったダイビングヘッドパットの使い手として席巻。この技はダイナマイト・キッドが継承した。受け身の技術はリック・フレアーが受け継いだ。後進の育成にも熱心だったレイスさん。「レイスイズム」は確実にプロレス界に生き続けると思う。(デーブ・レイブル通信員)