元プロレスラーの天龍源一郎(71)のアスリート人生の連載第2回は角界入門。中学2年だった63年に二所ノ関部屋に入門するまでにはさまざまな葛藤があったが、最後は自分の意志を貫き通した。【取材・構成=松熊洋介】

福井県勝山市で農家の息子に生まれた天龍は、小学生のころ自宅にテレビがなかったため、近所の家で相撲をよく観戦していた。野球やプロレスはナイターだったため、あまり見ることができなかったが「おやじが好きだったので」とプロレスだけは見ることが多かったという。

天龍は角界入りについて「おやじがおだてられて入ったみたいなもんだ」と話す。中2で182センチ、82キロという大きな体。地元の相撲大会では常に優勝だった。そんな時、父が通う地元の理髪店にたまたま来ていた二所ノ関部屋の後援会の人が「このあたりに体の大きな子どもはいないか」と話しているのを聞き「うちの息子はデカいよ」と話してしまったことで、天龍の人生は大きく変わることになった。話はすぐに部屋に伝えられ、スカウトが偵察に来た。「横綱になれると言われ、おいしい話ばかりだった。今考えたらなれるわけないよね」(笑い)。

スカウトたちは町の人にも話を広げ、周囲を固めていった。「当時は部屋に横綱の大鵬さんがいたから、みんな喜んじゃって、丸め込まれた感じかな」。夏休みに部屋に練習に行った。力士は巡業でおらず、練習生7、8人とけいこした。朝3時半起床も「これが相撲界」と苦にならなかったという。「夜には繁華街に連れて行ってもらって、楽しかったですね」。

父は最初は「長男だから相撲取りにはさせない」と言っていた。天龍自身も「思ってもいなかった」と話す。その後のスカウトの勧誘にも友だちの家に逃げていたこともあった。半年たち、気持ちも冷めてきたある日、「俺が相撲取りになったら横綱になれるかもしれない。もしならなかったら、死ぬ間際に後悔するかもしれない」との思いがふと頭をよぎる。家族から「お前の気持ちはどうだ」と聞かれ「1回やってみたい」と答えて“しまった”。

今でも「なぜ(相撲をやりたい)と言ったのか分からない」と話す天龍。それでも心の中にあった「横綱になれるかも」という思いが捨てきれず、角界の門をたたいた。「今思えば、甘えん坊でだらしなかった自分が、13歳でよく決断したと思う」。覚悟を持って入ったはずだったが、後の名力士たちのけいこを見て自分の気持ちの弱さを知ることになる。(つづく=第3回は相撲人生)

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◆天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう) 本名・嶋田源一郎。1950年(昭25)2月2日、福井・勝山市生まれ。63年12月に13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門。64年初場所で初土俵を踏み、73年初場所で新入幕。幕内通算108勝132敗、最高位は前頭筆頭。76年10月に全日本入り。90年に離脱し、SWSに移籍。WARを経てフリーに。WJ、新日本、ノア、ハッスルなどにも参戦した。10年に天龍プロジェクト設立。15年11月に現役引退。獲得タイトルは、3冠ヘビー級、世界タッグ、IWGPヘビー級など多数。得意技はDDT、ラリアット、グーパンチなど。