元プロレスラーの天龍源一郎(71)が日刊スポーツの取材に応じ、約半世紀に及ぶアスリート人生を振り返った。

中学2年だった63年に二所ノ関部屋に入門、翌年初土俵を果たし、輪島や初代貴ノ花らとしのぎを削った。前頭筆頭まで上がった後に引退し、プロレスラーの道へと進んだ。

プロレス界では主に全日本で活躍。故・ジャイアント馬場さん、新日本のアントニオ猪木氏の2人からフォール勝ちを奪った唯一のレスラーとしても知られる。

今年9月にはアントニオ猪木氏、故ジャイアント馬場さんらとともにプロレス殿堂入りも果たした。

日刊スポーツではそんな天龍の生きざまを8回にわたって連載する。第1回は天龍伝説。【取材・構成=松熊洋介】

 

★大鵬二世 13歳で二所ノ関部屋入りした天龍は周りの期待から73年1月の新入幕後、前頭筆頭まで上り詰め、初代貴ノ花や輪島としのぎを削り、後の横綱となる北の湖にも勝ったことがある。周囲の期待から「大鵬二世」と呼ばれた。

★日本デビュー戦は馬場とタッグ 76年秋に全日本に入団した天龍は翌77年6月、全日本プロレスの東京・世田谷体育館で、ジャイアント馬場と組んでメヒコ・グランデにフォール勝ちし、衝撃の国内デビューを飾った。その後もプロレスでは新人ながら主力の扱いを受けた。

★鶴龍コンビ 全日本で力をつけてきた鶴田は82年ころからジャンボ鶴田とタッグを組み、83年には最優秀タッグに選出された。その後はシングルの鶴龍対決でもリングを湧かせ、89年には鶴田を破り、3冠ヘビー級王者に輝いた。

★猪木の延髄切り 80年代に米国遠征から帰国した天龍は、当時、アントニオ猪木の得意技だった延髄切りを使い始める。当時は他の選手の技をまねることはタブーとされ、全日本では誰も使っていなかったが、気にせず披露した。

★馬場と猪木2人からピンフォール勝ち 89年11月、スタン・ハンセンと組み、馬場から日本人で初めてピンフォールを奪う。94年1月新日本東京ドーム大会では、猪木からピンフォール勝ち。2人から3カウントを奪った唯一のレスラーとなった。

★引退ロード 15年2月に引退発表。同11月までの引退ロードは21戦を戦い、17勝4敗。最終戦は新日本のオカダ・カズチカとシングルマッチを戦い、このシリーズ唯一のフォール負けを喫し、リングを降りた。(つづく=第2回は角界入門)

 

◆天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう) 本名・嶋田源一郎。1950年(昭25)2月2日、福井・勝山市生まれ。63年12月に13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門。64年初場所で初土俵を踏み、73年初場所で新入幕。幕内通算108勝132敗、最高位は前頭筆頭。76年10月に全日本入り。90年に離脱し、SWSに移籍。WARを経てフリーに。WJ、新日本、ノア、ハッスルなどにも参戦した。10年に天龍プロジェクト設立。15年11月に現役引退。獲得タイトルは、3冠ヘビー級、世界タッグ、IWGPヘビー級など多数。得意技はDDT、ラリアット、グーパンチなど。