元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが死去したことが1日、分かった。79歳だった。

力道山にスカウトされ1960年(昭35)に日本プロレスでジャイアント馬場さん(故人)とともにデビュー。72年に新日本プロレスを旗揚げし、プロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)との異種格闘技戦など数々の名勝負を繰り広げた。89年には参院選で初当選した。近年は腰の手術に加えて心臓の難病「全身性アミロイドーシス」も患い、入退院を繰り返していた。

   ◇   ◇   ◇

猪木さんは、プロレス界をけん引する傍ら、さまざま事業にも取り組んでいた。特に、わずかな磁力で半永久的にエネルギーを生み出すという「永久電機」の開発にも力を入れていた。

02年3月、都内のホテルに50人以上の報道陣を集め、燃料を使用せずに磁力を利用して消費電力の8倍以上の電力を生むという「エネルギーの法則と常識を覆す画期的な商品」を宣伝。自信満々に起動スイッチを入れたが、接続されていた蛍光灯はつかなかった。実は原因は、磁石を固定するボルトの1つの付け忘れ。「肝心の時に動かねえんじゃ、しょうがない。微調整して近日中に雪辱会見を開きます」と笑顔を見せていた。

世間を驚かせるはずだったが、周りの後輩たちは「うまくいくのか?」と疑問を感じていたという。新日本プロレスでタイガーマスクとして一時代を築いた佐山聡氏は「永久電池ができたんだよ、と自転車に乗せられた。デモンストレーションに来てくれと言われて行ったが、これが永久電池だと言われても分からないじゃないですか。5キロくらい走ったら分かるからとか言われて、ずっと走らされた(笑い)」と明かす。

一番弟子の藤波は「なんかいろいろやっていましたね。自分はよく分からなかったけど」と苦笑い。娘婿だったサイモン・ケリー・猪木氏も「電気とかバッテリーがどうのこうのとか事業をやっていた。プロレスだと自分は好きだからいいけど、バッテリーがどうのこうのと言われても分からないので勉強するしかなかった」と思いつけば“暴走”する猪木さんは手に負えなかったようだ。

プロレスでも北朝鮮やアマゾンでの開催、格闘技団体設立など、さまざまな改革をもたらした。思いついたら、失敗を恐れずにまずは実行に移す。そんな“無謀な”挑戦もまた猪木さんの魅力だったのかもしれない。【松熊洋介】