元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日午前7時40分、都内の自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。

猪木さんとともに新日本プロレスを旗揚げし、昨年デビュー50周年を迎えた藤波辰爾(68)は1日、日刊スポーツの取材に応じ、師匠の死を悼んだ。

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藤波が猪木さんの死去を知ったのはSNSだった。「『え、まさか』という感じ。このところあの体調からすると、いつかは…と思っていてもね、まさかこういう現実、状況になると、本当に頭の中がからっぽ。真っ白ですね。言葉が見つからないというか、スタートから一緒にいましたので言葉になりませんね」と、無念を口にした。

最後に会ったのは約1カ月前。妻とともに猪木さんの自宅に見舞いに行った時だった。「治療を終えた後でベッドに横になっていたんだけど、行けばやっぱりあの方のキャッチフレーズ『元気ですかー!』とね。あの時の状態の一番精いっぱいの声で僕と家内を迎えてくれて、小1時間ほどお話をさせてもらった」と、弱いところは見せなかったという。

その時に交わした約束は、果たされなかった。「猪木さんの事務所にはキッチンも全部あるのでね。家内が食の仕事をしているので、猪木さんのところに猪木さんの食べたい食事を作りに行くって約束をして、別れたんです」と、心残りを明かした。

ふとした時に電話をかけたくなるという、心の師でもあった。「僕の中には猪木さんがいますね。レスラーはみんな『猪木さん』っていう思いを持っているでしょうけど、猪木さんが大事にしてきたプロレスは単なるプロレスじゃなくて世間と闘っていましたのでね、大事にしていきたいですね。今日は厳しいけど、もうちょっと(現役で)いくつもりではいます」と、猪木さんの残した「イズム」を継承することを誓っていた。