“プロレスリングマスター”武藤敬司(60)が、完全燃焼で現役を引退した。自らラストマッチの相手に指名した新日本プロレスの内藤哲也(40)と対戦し、28分58秒にデスティーノ(変形リバースDDT)を決められて敗戦。

その後は「もう一つやり残したことがある」と、解説席の「闘魂三銃士」の同期、蝶野正洋(59)を呼び込み、サプライズマッチを実現させた。ド派手な2連敗で約39年の集大成を飾り、“武藤劇場”は完結。「俺は本当に幸せなプロレス生活だった」と充実感をにじませた。

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武藤が、東京ドームの中心で大の字になっていた。「広いなぁ。天井は…」。長い長い旅路の果て。不思議とさみしさはなかった。公言通りの完全燃焼。「ゴールできてよかった。多くのレスラーが引退試合できていない中で、本当に俺は幸せなプロレス生活だった」と振り返った。

自ら最後の対戦相手に指名した内藤と、11年ぶりの一騎打ちで魂をぶつけあった。デスティーノで3カウントを奪われ、現役引退…。かと思われたが、「まだ灰になってねぇ」と言い放った。「やりたいことが一つある。蝶野! 俺と戦え!」。解説に駆けつけた「闘魂三銃士」の同期、蝶野をリングに呼び込み、サプライズマッチを実現させた。STFでギブアップ負けを喫し、前代未聞の引退試合2連敗。“プロレスリングマスター”が、最高のアートを完成させた。

かつてジュニアヘビー級並みの空中殺法と、規格外のパワーを誇った姿は、そこにはない。内藤戦で2度挑戦する姿勢を見せた月面水爆は、ロープに足を掛けるたびに苦悶(くもん)の表情を浮かべて中断した。だが、ドラゴンスクリューやシャイニング・ウィザードを意地で乱れ打ち、足4の字固めで追い込んだ。「闘魂三銃士」の盟友、橋本さんのけさ斬りチョップ→DDT、ライバル三沢さんのエメラルドフロウジョンも決めた。引退試合ができなかった仲間たちの分まで、全身全霊をささげた。

とっくに限界を超えていた。引退の原因となった股関節や腰の痛み。さらには、先月末の化身グレート・ムタとして負った両足大腿(だいたい)部の肉離れは全治6週間だった。それでも「レスラーはヒーローじゃないといけない」。死力を尽くしてたどり着いた最後の大戦を終え、「自分の足で帰れた」と笑った。

生活の中心にあるのは常にプロレス。午前9時のジムのオープンに備え、朝食の消化時間を逆算。午前5時に起床し、メニューはもちろん量も1グラム単位で決められた朝食をとる。就寝もトイレに行くことでさえも、決められた時間に行う徹底ぶり。「天才は努力なしで何でもできること。俺は見えないところで努力してんだよ」。寝ても覚めても-。その言葉を地でいく、努力の天才だった。

デビューから38年4カ月と16日。数々の名勝負を繰り広げたリングからはおりた。だが、ゴールすると同時に新たな夢の道を走り始めた。競技を転向し、五輪出場を目指すことも視野に入れている。プロレスラー武藤は終わっても「武藤敬司」の人生は終わりのないマラソンだ。【勝部晃多】

◆武藤敬司の同世代 新日本の同期だった蝶野正洋、橋本真也の3人で闘魂三銃士を結成。武藤は蝶野がデビュー戦の相手で30試合以上、橋本とも10試合以上もシングルで対戦。同期の友情と世代交代で一致団結し、90年代後半、IWGPヘビー級王座を懸けて激突。武藤、蝶野のnWoジャパンは人気を博した。武藤が全日本、橋本がゼロワンに所属しても関係は良好だったが、05年に橋本が急死した。三銃士と同時期で全日本で人気だった四天王(三沢光晴、田上明、川田利明、小橋建太)と比較された。武藤は川田とシングル戦、小橋ともタッグ戦を経験したが、待望されたのは三沢との天才対決だった。04年にタッグ戦で激突し、シングル対決の機運も高まったが、09年6月、三沢の死去で実現しなかった。

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