12年ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級金メダリストで、元WBA世界同級スーパー王者の村田諒太(37=帝拳)が引退を表明した。29日から5回連載で、歴代担当記者が日本人で初めてボクシングの五輪とプロで頂点に立った拳を振り返る。

   ◇   ◇   ◇

「どうしたんですか」。所々赤く腫れた顔面で、村田にあいさつされた。17年5月21日、午前9時半、都内ホテルのロビーだった。前夜に初の世界戦となったWBA王座決定戦に臨み、エンダム(フランス)に不可解な判定で敗北した翌朝だった。ダウンを奪いながらの敗戦に世間に疑問の声がうずまいた。当人の言葉をしっかりと聞きたかった。

張り詰めた緊張感をまとった試合日とは対照的にラフな格好の「敗者」は、続けてこう切り出した。「エンダムが今日帰ると聞いたのであいさつしたかったんですよ」。同宿の「勝者」へ、すぐに内線電話をかけ始めた。しばらく後、エンダムがロビーに姿を現し、15分ほど会話を交わした。判定は選手が関与できない。「互いにベストを尽くせた。戦ってくれてありがとう」。そう伝えた。

その言動に驚かされた。いま、振り返ると、村田の本質は、こんな他者への思いやりにあったのではないかと思う。殴り合う、時には死に至らせることもある。だからこそ、他者に敏感になる。拳をまじえたコミュニケーションだ。競技で自分自身のアイデンティティーを問い続ける過程において、他者を退けない。その器量の大きさが、この人の幹だ。

28日の引退会見での言葉を聞いた。「未来のある子どもたち、社会に向かってどういったものをつくっていけるのか。それが僕に課せられた仕事」。6年前のホテルのロビー、誰かのため、相手のために、自身の感情よりも優先して動いた姿を思いだし、この希望がふに落ちた。

「さあ、今日はどんな面白い質問をしてくるんですか」。一対一での取材の開始時に、度々そう言って笑った。こちらには重圧もありながら、気合が入った。それも「思いやり」だったと懐かしい。今後は「拳を交えないコミュニケーション」でも、何を成し遂げていくのか楽しみだ。【17~19年ボクシング担当=阿部健吾】